2012年4月22日日曜日

路傍の貴顕 その13




 今年も不順かつ荒れ模様の春でしたが、野の花たちは、また、元気で可憐な姿を見せてくれました。

 この春は、ハイネの詩の一節を、強い実感を持って思い起こさせるものでした。


冬に逐われし数々も
春来たりなば汝に還り来む
数多の物なお汝に残されてあり
この世は今もげに麗し…


 常に希望を持って、楽しく行きましょう!



















2011年9月19日月曜日

至福の85リットル

  
 先日、家中の至る所にのさばっている雑多な物どもの圧迫感に耐えきれなくなって、収納場所を確保すべく、押し入れ等の整理をおっぱじめました。…すると、ウサギ小屋にしてもちっぽけ過ぎるような我が家の中に、まあ、あきれ返るくらいの膨大な物品の数々がギュウギュウ詰めになっていることに気付かされました。もちろん、そのほとんどが値打ちのないがらくたですが。
 
 数十分奮闘し、数枚のゴミ袋をいっぱいにしたところで、早くもギブアップし、少し生じた隙間に新たながらくたを詰め込んで、早々にこの苛立たしく埒の明かない仕事を強制終了しました。
 
 その夜、ビールのコップを手に、まだ家の中に転がっている数個の丸々と太ったゴミ袋を眺めながら、思わず知らず、こんなことを考えました。
 
 「このゴミ袋の中身は、85リットルのザックにはとうてい入りきるまい。しかも、我が家のあちこちには、おそらく、この数百倍もの嵩高い物品どもがひしめいているのだ!」
 
 そんなことを考えたのも、かつては、夏であれ冬であれ、よく、85リットルのザックひとつをひっ担いで、長い時は2週間ばかりも人里離れた山の中を徘徊していたからです。
 
 そのザックには、テント、シュラフ、衣類、食糧、食器、調理具、コンロ、燃料、ヘッドランプ、等、等、生活に必要なすべてが詰め込まれていました。現地で補給するものは、水のみです。
 
 日中は、雄大な空と山が、たっぷりと満足感を与えてくれます。そして夕方、テントをおったて、中に転がりこんでしまえば、その2立方メートルに満たない空間の中にも、この上なく楽しく豊かなひとときがぼくを待っているのでした。
 
 もちろん、食事はこの上なく質素です。しかし、食後に、アルミカップにバーボンを注ぎ、ごろりと横になってしまえば、古代ローマの王侯貴族も羨むばかりの優雅な宴会の始まりです。
 
 高処を渡る、あるいは木々の梢と戯れる風の歌声に耳を傾け、キャンドルの炎の幻想的なダンスに見入り、ホタテの紐の干物や落花生をつまみながらちびちびとバーボンを嗜めば、これぞ至福の極み、この世の楽園に他なりません。
 
 …85リットルのザックひとつで、かくも幸福な日々が送れたのに、今、その数百倍の物資を所有して、それほど豊かでも幸福でもないのは、いったいどういうわけでしょうか? 
 
 さまざまな道具を所有することで、確かに生活は便利になりました。でも、道具たちは、その所有者に、自分たちの世話をすることを要求します。
 
 たとえば、自動車は言います。「ローンを払え、駐車場を用意しろ、保険をかけろ、税金を払え、ガソリンを入れろ、オイルのチェックをしろ、車検を受けろ、シートカバーをかけろ、ワイパーゴムを換えろ、タイヤの空気圧を計れ、バッテリー液を補充しろ、ワックスを塗れ、窓を拭け…」
 
 便利さと豊かさは、まったく別のものなのではないでしょうか? 豊かさは心にこそ宿るものなのだとぼくは思います。多くの「物」に追い使われる生活は、どう考えても豊かとは言えません。


 アレキサンダー大王の好意に対して、ただ、日当たりの妨げにならないよう立ち去ることだけを求めたディオゲネスは、おそらく真の賢者だったのでしょう。
 
 もちろん、ぼくだったら、やっぱり、あれやこれやのおねだりを大王様にしたことでしょうけど。
 
 
 


 
 
 

2011年4月5日火曜日

荒地山




 4月3日、下の子供と荒地山(六甲山)に行ってきました。
 
 曇りがちで、やや肌寒い1日でしたが、歩くにはちょうど良かったです。

 岩梯子付近では少しロッククライミングの雰囲気が味わえて、子供は楽しそうでした。

 阪急芦屋川 ⇒ 鷹尾山 ⇒ 荒地山 ⇒ 横池 ⇒ 風吹岩 ⇒ 高座滝 ⇒ 阪急芦屋川  というルートでした。






























2010年10月8日金曜日

コントラストの季節


 
 
 とんでもなく暑かった夏もようやく終わり、秋が支配権を確立しました。
 
 秋はコントラストの季節です。影は濃さと深さを増し、明るさと透明さを増した陽差しをいっそう際だたせています。
 
 しかし、影に秘められた底知れぬ暗さに気付かない人には、その対極としての光の輝かしさも十分に認識することはできないでしょう。
  
 人生もまた、かくの如しです。我々一人ひとりが放つぼんやりとした燐光も、死と虚無の暗い淵を背景とする時、至高の輝きをもって人の魂を揺さぶります。
 
 生命もまた、その本質はコントラストなのだと思います。故に、生命は不滅の存在とはなり得ないのでしょう。
 
 …ともあれ、この季節、陽光の中で、世界は美に満ち溢れています。我々も、色づいた木の葉のように、輝かしいこの刹那を、「時」の中に織り留めようではありませんか。
 
 
 
 

2010年8月31日火曜日

武庫川のヌートリア その3

 
 
 武庫川で、ヌートリアの親子と出会いました。
 
 猛暑の中、涼しげに仲良く遊泳していました。
 

 









2010年8月7日土曜日

秋の覚醒

 
 
 生まれたばかりの夏が、力強く日本を支配しています。しかし、まばゆい陽光の所々に、透明で冷たい異質の光の結晶が見られます。吹き抜けてゆく熱い風の中に、どことなく冷たい息吹が混じっているのが感じられます。
 
 それは秋の気配です。我々がこの世に生を受けたその瞬間に、すでに死が我々を蝕み始めているように、生まれたばかりの夏のさなかに、すでに秋が目醒め、やがて自分が支配するこの世界を静かに見渡しているのです。
 
 この世の営みの無常さを、ぼくはこの時期、もっとも強く感じます。もっとも力強い季節の中に、もっとも顕著にその滅びを察知してしまうからです。
 
 しかし、そのはかなさが、この季節を、より美しく、よりいとおしいものにしています。生きとし生けるものすべてが、滅びの宿命を背負いつつも、それを徒に嘆いたりすることなく、陽光と同様に、輝かしく、力強く生を謳歌しています。ただ人間のみが、暑いの、うっとうしいのと、文句や泣き言を垂れています。
 
 秋の王国が支配を確立した時、我々は、豊かな実りを実感できるでしょうか? 精いっぱい生きたと言い切れるでしょうか? 夏はやがて過ぎ去ります。そして人生もまた…。「今」の貴重さ、美しさを、我々はもっとよく考え、もっとよく感じるべきでしょう。
 
 

2010年5月16日日曜日

路傍の貴顕 その12

 
 
 春たけなわです。今年も不順な気候ですが、野生の花たちは元気に咲き匂っています。
 
 我々も、負けずにがんばりましょう!
 





 
  
 

2010年5月14日金曜日

萌える若葉

 
 
 新緑の季節ですが、秋の紅葉に劣らず、見事に色づいている若葉もあります。思わず、うっとりと見とれてしまいます。
 





 
 
 


2010年5月5日水曜日

室内プール&温泉 その2

 
 5月3日、2人の子供と、去年の11月にも行った室内プール&温泉に行きました。いつも喧嘩ばかりしている2人ですが、この日は仲良くすごしてくれました。
 
 上の子は、ちゃんと下の子の面倒を見てくれていました。おかげで親父は、露天風呂やジャグジーで、しばしのくつろいだ時間を持つことができました。
 



 
 

2010年4月18日日曜日

武庫川でボート その4

 
 
 4月11日、久しぶりに、下の子と武庫川でボートに乗りました。子供は、嬉々として漕ぎまわりました。
 
 ちょうど見頃の桜は、水上から眺めると、ひときわ風情がありました。