たいがいの人は、自らの人生に何らかの栄光を求めています。そして、程度の違いはあるにせよ、たいがいの人に、何らかの栄光の時が訪れます。
人間には、その栄光によって、驕慢になる人と、謙虚になる人の2種類があります。前者のほとんどは、栄光を、単なる僥倖や悪事によって手に入れた人です。後者は、ほぼ全員、努力と忍耐によって栄光を掴み取った人です。そして、前者は堕落と醜悪への坂道を転げ落ちることが多く、後者はほとんどが人間としてより高まっていきます。
栄光を得ることによってではなく、栄光を得た後の行ないによって、その人が栄光にふさわしいかどうかが判明するものなのです。
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さて、たいがいの人は挫折することは望みません。しかし、人生には必ず、大なり小なり、挫折の時が訪れます。
挫折によって、誰もが心くじけ、落ち込んでしまうものですが、失意の時期を通り抜けた後、ここでも、人間は2種類に分かれます。挫折によって、希望を失い、高まることを諦めてしまう人と、以前に増して闘志を燃やし、再び高みを目指す人です。
挫折によって完全に心砕かれた人を、ぼくは責めようとは思いません。人間には背負いきれないほどの悲しみや喪失感がこの世にはたくさん存在しています。しかし、自らの力で再び高まっていく力を持ちながら、努力を放棄し、いじけて縮こまってしまうような人に共感を持つことは、ぼくにはできません。
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ぼくにとって魅力的なのは、栄光によって高められ、挫折によって磨かれた人です。つまり、常に高みを目指している人です。人は、そうすることによって輝きを発します。
そして、そういう人は、常に自らを愛し、尊敬しています。だからこそ、栄光の中で驕らず、挫折の時に勇気を持てるのです。他人の評価にすがったり、不運を他人のせいにしたりしないのです。
また、そういう人は、外部に向かって働きかける力だけではなく、自己を律する内面的な力をも持っています。だから、謙虚であり、他人にも優しくなれるのです。
ぼく自身は、もちろん、そういう魅力的な人間ではありません。しかし、そういう真の強さを持った人間になることが、とりあえず、ぼくの目指すべき高みなのだと思っています。