2008年6月22日日曜日

路傍の貴顕 その4

 





 

 


 
 
 
 


 季節の移り変わりと共に、次々と違った花が咲いて行きます。自然は、常に新鮮な美に満ちています。

 人生は退屈だ、などと言う人がいますが、そういう人は、単に、自分を取り巻く美に気付いていないだけだと、ぼくには思われます。


   人生は美しい
   千度も生きたいほど美しい! (ベートーベン)


 


 

2008年6月12日木曜日

路傍の貴顕 その3

 
 
     
  
  
 
 
     
 
   
  
 
   





 このブログを始めてから、常にカメラを持ち歩くようになったのですが、そのおかげで、これまで見過ごしていたいろいろなものを注意して見るようになりました。
  
 ここに掲載した野の花たちも、そのほとんどは、生まれてこの方、落ち着いて眺めたことのなかったものです。
 
 しかし、こうしてじっくりと向き合って見て初めて、その多くが、息を呑むほどの美しさを備えていることに気付きました。
   
 ありふれた日常の場にも、多くの未発見の美が眠っていることを改めて感じさせられました。




 

2008年6月11日水曜日

いただきま~す!

    
 
 
   
 
 
  

 

 昆虫たちのお食事中を覗かせていただきました。おいしそうに蜜をすすっています。
 
 ところで、花の蜜というのは、自然界において、他種の生物に食べてもらうことを目的に生産された、数少ない糧のひとつです。
 
 もちろん、見返りを期待してのことですが、それはほんのついでに行なえることで、ほとんど負担になりません。
 
 自然界でも人間界でも、万事がこのように平和的な協力関係で成り立っていればいいのですが、実際には、弱肉強食の淘汰の法則が支配的なようです。
 
 自然の法則や摂理は素直に受け入れようと思います。しかし、可能な限り、平和的協力関係を増やす努力を続けることで、人生も自然も、よりよい状態に近づけて行けるのではないでしょうか。

 
 
 

2008年6月8日日曜日

我々普通に、ど根性

  


  
  
  
  

 

 さて、あなたが道を歩いていて、この写真にあるような草花を引っこ抜いている人を見かけたら、その人のことをいったいどのように思われるでしょうか?

 おそらくは、環境美化に勤める感心な人だと思われるのではないでしょうか?

 しかし、同じ場所に生えていても、それが大根であったなら、かなり違った評価をされる人がほとんどでしょう。特に、そうした大根がマスコミに取り上げられ、巷で有名になった後では。

 そうした違いが不当なものであると主張するつもりは、ぼくには毛頭ありません。しかし、道ばたで、アスファルトやコンクリートの割れ目に必死でしがみついて生きている彼らのど根性は、決して大根に劣るものではありません。

 ありふれた雑草たちも、エリートの大根以上に、常に、ひたむきに努力をしています。

 そして、嫌われ者になることが多い雑草たちの方が、より多く地球環境の保全に貢献しているのだという事実を再認識しておいても、悪くはないんじゃないかと思われます。