2013年5月7日火曜日
六甲山
5月4日(土)、子供と六甲山に行ってきました。今回は、宝塚から東六甲縦走路を経て最高峰へ。そして有馬に下りました。
天気は晴でしたが、時折薄雲が広がりました。
塩尾寺までは結構汗をかきましたが、その後は歩き心地の良い体感温度でした。
子供は、ほとんどペースを落とさず、元気に歩き通しました。
新緑やヤマツツジ等の花たちが、とってもきれいでした。
有馬で温泉に入ろうと思ったのですが、20分待ちということだったので諦めました。ま、そのかわり、たっぷりと森林浴を楽しんだので、十分満足でした。
宝塚9:00~塩尾寺10:20~山頂13:30(昼食30分)~有馬15:30 でした。
2013年4月14日日曜日
2013年4月13日土曜日
至福の85リットル その2
以前、85リットルのザックひとつで、幸せいっぱいの山旅ができる、という話をしましたが(2011年9月19日付「至福の85リットル」)、85リットルで幸せになれるのは、何も山旅の時だけではないと思うのです。
科学技術の目覚ましい進歩は、原始的生活に憧れる人ばかりでなく、快適な文明生活を求める人にも85リットルの持物で生活を送る可能性を与えてくれました。
ひと昔(ふた昔?)前、ひとり暮らしをするに際しても、テレビ、ビデオデッキ、オーディオ機器(アンプ、レコードプレーヤー、チューナー、テープデッキ、スピーカー等)、そしてビデオテープやLPレコード等の各種ソフトが文化生活を送るためには必要でした。また、文化人としては、ある程度の本や辞書類を所持していることも必要でした。
それらの体積と重量は相当のものであり、狭い部屋では持ち主の居場所を奪い去り、引越の際にはたいへんな負荷となり、身軽な移動を妨げていました。
さて、現在、それらの物のすべては、片手でひょいと持ち運べるノートパソコン1台で十分事足りるようになりました。膨大なソフト類も、パソコンのハードディスク上や、超コンパクトなメディアに簡単に詰め込むことができます。
2立方メートルに満たないテントの中で、文明生活を営むことも可能となったのです。
ある程度の経済力があること、独身生活を貫くことなどが前提となりますが、現代のテクノロジーと社会の利便性を有効に利用するなら、85リットルの所持品のみで、社会から遠ざかることなく人生を快適に旅することも、決して非現実的な夢想とは言えないでしょう。
「物」の桎梏から逃れ、同時に「場所」の制約から解き放たれ、旅を住処とし、しかも社会に寄り添っている…、そういう生き様が、今の時代、選択肢のひとつとして提示されているのです。それもまた魅力的ではないでしょうか。
2012年12月30日日曜日
2012年11月2日金曜日
栄光と挫折
たいがいの人は、自らの人生に何らかの栄光を求めています。そして、程度の違いはあるにせよ、たいがいの人に、何らかの栄光の時が訪れます。
人間には、その栄光によって、驕慢になる人と、謙虚になる人の2種類があります。前者のほとんどは、栄光を、単なる僥倖や悪事によって手に入れた人です。後者は、ほぼ全員、努力と忍耐によって栄光を掴み取った人です。そして、前者は堕落と醜悪への坂道を転げ落ちることが多く、後者はほとんどが人間としてより高まっていきます。
栄光を得ることによってではなく、栄光を得た後の行ないによって、その人が栄光にふさわしいかどうかが判明するものなのです。
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さて、たいがいの人は挫折することは望みません。しかし、人生には必ず、大なり小なり、挫折の時が訪れます。
挫折によって、誰もが心くじけ、落ち込んでしまうものですが、失意の時期を通り抜けた後、ここでも、人間は2種類に分かれます。挫折によって、希望を失い、高まることを諦めてしまう人と、以前に増して闘志を燃やし、再び高みを目指す人です。
挫折によって完全に心砕かれた人を、ぼくは責めようとは思いません。人間には背負いきれないほどの悲しみや喪失感がこの世にはたくさん存在しています。しかし、自らの力で再び高まっていく力を持ちながら、努力を放棄し、いじけて縮こまってしまうような人に共感を持つことは、ぼくにはできません。
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ぼくにとって魅力的なのは、栄光によって高められ、挫折によって磨かれた人です。つまり、常に高みを目指している人です。人は、そうすることによって輝きを発します。
そして、そういう人は、常に自らを愛し、尊敬しています。だからこそ、栄光の中で驕らず、挫折の時に勇気を持てるのです。他人の評価にすがったり、不運を他人のせいにしたりしないのです。
また、そういう人は、外部に向かって働きかける力だけではなく、自己を律する内面的な力をも持っています。だから、謙虚であり、他人にも優しくなれるのです。
ぼく自身は、もちろん、そういう魅力的な人間ではありません。しかし、そういう真の強さを持った人間になることが、とりあえず、ぼくの目指すべき高みなのだと思っています。
2012年4月29日日曜日
2012年4月22日日曜日
路傍の貴顕 その13
この春は、ハイネの詩の一節を、強い実感を持って思い起こさせるものでした。
冬に逐われし数々も
春来たりなば汝に還り来む
数多の物なお汝に残されてあり
この世は今もげに麗し…
常に希望を持って、楽しく行きましょう!
2011年9月19日月曜日
至福の85リットル
先日、家中の至る所にのさばっている雑多な物どもの圧迫感に耐えきれなくなって、収納場所を確保すべく、押し入れ等の整理をおっぱじめました。…すると、ウサギ小屋にしてもちっぽけ過ぎるような我が家の中に、まあ、あきれ返るくらいの膨大な物品の数々がギュウギュウ詰めになっていることに気付かされました。もちろん、そのほとんどが値打ちのないがらくたですが。
数十分奮闘し、数枚のゴミ袋をいっぱいにしたところで、早くもギブアップし、少し生じた隙間に新たながらくたを詰め込んで、早々にこの苛立たしく埒の明かない仕事を強制終了しました。
その夜、ビールのコップを手に、まだ家の中に転がっている数個の丸々と太ったゴミ袋を眺めながら、思わず知らず、こんなことを考えました。
「このゴミ袋の中身は、85リットルのザックにはとうてい入りきるまい。しかも、我が家のあちこちには、おそらく、この数百倍もの嵩高い物品どもがひしめいているのだ!」
そんなことを考えたのも、かつては、夏であれ冬であれ、よく、85リットルのザックひとつをひっ担いで、長い時は2週間ばかりも人里離れた山の中を徘徊していたからです。
そのザックには、テント、シュラフ、衣類、食糧、食器、調理具、コンロ、燃料、ヘッドランプ、等、等、生活に必要なすべてが詰め込まれていました。現地で補給するものは、水のみです。
日中は、雄大な空と山が、たっぷりと満足感を与えてくれます。そして夕方、テントをおったて、中に転がりこんでしまえば、その2立方メートルに満たない空間の中にも、この上なく楽しく豊かなひとときがぼくを待っているのでした。
もちろん、食事はこの上なく質素です。しかし、食後に、アルミカップにバーボンを注ぎ、ごろりと横になってしまえば、古代ローマの王侯貴族も羨むばかりの優雅な宴会の始まりです。
高処を渡る、あるいは木々の梢と戯れる風の歌声に耳を傾け、キャンドルの炎の幻想的なダンスに見入り、ホタテの紐の干物や落花生をつまみながらちびちびとバーボンを嗜めば、これぞ至福の極み、この世の楽園に他なりません。
…85リットルのザックひとつで、かくも幸福な日々が送れたのに、今、その数百倍の物資を所有して、それほど豊かでも幸福でもないのは、いったいどういうわけでしょうか?
さまざまな道具を所有することで、確かに生活は便利になりました。でも、道具たちは、その所有者に、自分たちの世話をすることを要求します。
たとえば、自動車は言います。「ローンを払え、駐車場を用意しろ、保険をかけろ、税金を払え、ガソリンを入れろ、オイルのチェックをしろ、車検を受けろ、シートカバーをかけろ、ワイパーゴムを換えろ、タイヤの空気圧を計れ、バッテリー液を補充しろ、ワックスを塗れ、窓を拭け…」
便利さと豊かさは、まったく別のものなのではないでしょうか? 豊かさは心にこそ宿るものなのだとぼくは思います。多くの「物」に追い使われる生活は、どう考えても豊かとは言えません。
アレキサンダー大王の好意に対して、ただ、日当たりの妨げにならないよう立ち去ることだけを求めたディオゲネスは、おそらく真の賢者だったのでしょう。
もちろん、ぼくだったら、やっぱり、あれやこれやのおねだりを大王様にしたことでしょうけど。
2011年4月5日火曜日
2010年10月8日金曜日
コントラストの季節
とんでもなく暑かった夏もようやく終わり、秋が支配権を確立しました。
秋はコントラストの季節です。影は濃さと深さを増し、明るさと透明さを増した陽差しをいっそう際だたせています。
しかし、影に秘められた底知れぬ暗さに気付かない人には、その対極としての光の輝かしさも十分に認識することはできないでしょう。
人生もまた、かくの如しです。我々一人ひとりが放つぼんやりとした燐光も、死と虚無の暗い淵を背景とする時、至高の輝きをもって人の魂を揺さぶります。
生命もまた、その本質はコントラストなのだと思います。故に、生命は不滅の存在とはなり得ないのでしょう。
…ともあれ、この季節、陽光の中で、世界は美に満ち溢れています。我々も、色づいた木の葉のように、輝かしいこの刹那を、「時」の中に織り留めようではありませんか。
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