2015年3月8日日曜日

音楽のリフレッシュ効果



    ある所で、音楽の効果をテーマに
    短い発表を行ないました。
    その原稿の一部を紹介します。 

 音楽は、芸術の代表的な一分野です。そこで、まず芸術とは何かを考えてみたいと思います。

 辞書等で「芸術」を検索してみると「他人と分かち合えるような美的な物体、環境、経験をつくりだす人間の創造活動、あるいはその成果をいう。」「美を追求・表現しようとする人間の活動。およびその所産。」といった定義が見出されます。確かにその通りなのですが、もう少し踏み込んでみたいと思います。
 
 芸術の特性を考えてみましょう。芸術作品は、個性的であると同時に普遍性を有しています。また、自由でありながら秩序に従っています。そして、時間的な存在でありながら永遠(時間と対立する意味での)に属しています。どのような種類の芸術作品であっても、すぐれた作品はすべて、以上の特性を有しているはずです。
 
 ところで、芸術のこれらの特性は、芸術以外のある物の特性と完全に一致します。それが何かおわかりでしょうか? …そう、「生命」です。この一致から、芸術のより正確な定義が導き出されると思います。つまり、「芸術とは、生命の純化された表現、あるいは、生命の様態の表出である。」と言えるのではないでしょうか。そうであるからこそ、我々は、芸術作品に触れる時、魂の底から揺さぶられるような感動に見舞われ、心の浄化と生命力の充溢を感じるのです。

 少し話は飛びますが、民俗学・文化人類学において取り上げられる、「ハレ」と「ケ」という概念があります。「ケ」というのは日常のこと、「ハレ」というのは特別な日、つまり、盆や正月、節句や祭りなどのことです。現代では「ケ」はほとんど使われませんが、「ハレ」は、いわゆる「ハレの日」というような言い方で使われています。

 ケ(日常)を続けていくうちに、人間は必ず、マンネリに陥り、モチベーションは次第に低下していきます。そこで、ハレの日に、スカッとリフレッシュし、また、新鮮な気分でケに戻っていくわけです。

 この、ハレの日のリフレッシュ効果は、何も年に数回の特別な日だけにあるのではありません。たとえば、日曜日や祝日。これは立派な「ハレの日」です。また、1日の仕事の中にも、昼休みや休憩時間といった、「ハレの時間」的なものがあります。つまり、短いスパンの中でも、効果的にリフレッシュを行なうことにより、日常生活は、より新鮮で魅力的なものとすることができるのです。                  

 このハレの効果は何によってもたらされるのでしょうか? 休息もそのひとつでしょう。単にしばしケから離れることだけでも、リフレッシュ効果は期待できそうです。しかし、真のリフレッシュはもっと積極的な活動によってこそもたらされるのだと思います。

 たとえば、スポーツ。これは、いちいち解説を行なうまでもなく、誰でもがその素晴らしいリフレッシュ効果を体感したことがあるはずです。見るにつけ、行なうにつけ。

 そして、芸術です。これもまた、鑑賞するにつけ、行なうにつけ、劇的なリフレッシュ効果をもたらしてくれます。

 日本に限らず、古来より、ハレの日によく行なわれてきたのが、演劇や音楽などでした。人間は、芸術の持つ強大なパワーを大いに利用してきたのです。

 ここで、本題に戻ってきました。私たちの行なっている日常の仕事等がどんなに気高く有意義なものであっても、それを続けていくうちに、前述のように、次第にモチベーション等は低下していきます。そこに、意識的にハレの日なり時間なりを効果的に挿入することにより、日常の作業をマンネリから救出することができるのです。

 そのための手段として、音楽は最も手軽で、最も効果的なもののひとつです。聴いて楽しむ。また、気軽に参加もできる。そして、気持の表層部だけではなく、心の底に潜む生命の本質から湧き上がるパワーによってリフレッシュされるのです。

 ただし、ひとつ忘れてはならないのは、誰もが音楽大好きというわけではないということです。また、音楽好きであっても、好みは様々です。ぼくも音楽は大好きですが、聞くに堪えない曲も結構あります。無理強いは禁物です。

                              おわり 




2013年5月7日火曜日

六甲山




 5月4日(土)、子供と六甲山に行ってきました。今回は、宝塚から東六甲縦走路を経て最高峰へ。そして有馬に下りました。




 天気は晴でしたが、時折薄雲が広がりました。




 塩尾寺までは結構汗をかきましたが、その後は歩き心地の良い体感温度でした。





 子供は、ほとんどペースを落とさず、元気に歩き通しました。




 新緑やヤマツツジ等の花たちが、とってもきれいでした。




 有馬で温泉に入ろうと思ったのですが、20分待ちということだったので諦めました。ま、そのかわり、たっぷりと森林浴を楽しんだので、十分満足でした。




  宝塚9:00~塩尾寺10:20~山頂13:30(昼食30分)~有馬15:30 でした。




2013年4月14日日曜日

春の紅葉

 





 新緑の季節ですが、今、紅葉している木の葉もあります。

 これは楠の落葉です。何気なく見ているとほとんど目につきませんが、よく見ると、このようにとてもきれいです。

 楠は常緑樹ですが、桜が咲くころ、葉が入れ替わります。紅葉と若葉、つまり、滅びと誕生が同じ木に混在しています。

 ちなみに、2012年4月29日付の「萌える若葉 その2」は、この時期の楠の若葉です。

  



2013年4月13日土曜日

至福の85リットル その2




 以前、85リットルのザックひとつで、幸せいっぱいの山旅ができる、という話をしましたが(2011年9月19日付「至福の85リットル」)、85リットルで幸せになれるのは、何も山旅の時だけではないと思うのです。

 科学技術の目覚ましい進歩は、原始的生活に憧れる人ばかりでなく、快適な文明生活を求める人にも85リットルの持物で生活を送る可能性を与えてくれました。

 ひと昔(ふた昔?)前、ひとり暮らしをするに際しても、テレビ、ビデオデッキ、オーディオ機器(アンプ、レコードプレーヤー、チューナー、テープデッキ、スピーカー等)、そしてビデオテープやLPレコード等の各種ソフトが文化生活を送るためには必要でした。また、文化人としては、ある程度の本や辞書類を所持していることも必要でした。

 それらの体積と重量は相当のものであり、狭い部屋では持ち主の居場所を奪い去り、引越の際にはたいへんな負荷となり、身軽な移動を妨げていました。

 さて、現在、それらの物のすべては、片手でひょいと持ち運べるノートパソコン1台で十分事足りるようになりました。膨大なソフト類も、パソコンのハードディスク上や、超コンパクトなメディアに簡単に詰め込むことができます。

 2立方メートルに満たないテントの中で、文明生活を営むことも可能となったのです。

 ある程度の経済力があること、独身生活を貫くことなどが前提となりますが、現代のテクノロジーと社会の利便性を有効に利用するなら、85リットルの所持品のみで、社会から遠ざかることなく人生を快適に旅することも、決して非現実的な夢想とは言えないでしょう。

 「物」の桎梏から逃れ、同時に「場所」の制約から解き放たれ、旅を住処とし、しかも社会に寄り添っている…、そういう生き様が、今の時代、選択肢のひとつとして提示されているのです。それもまた魅力的ではないでしょうか。





2012年12月30日日曜日

荒地山



 11月25日、家で休養の予定でしたが、あまりに天気がよかったので、急遽、紅葉を求めて山に行くことにしました。

 もう午に近かったのですが、大急ぎでザックに必要品を詰め込み、子供と2人で出発しました。

 行先はおなじみの荒地山(六甲山)。期待通り、秋色の山をたっぷりと満喫することができました。

 阪急芦屋川 ⇒ 鷹尾山 ⇒ 岩梯子 ⇒ 荒地山 ⇒ 風吹岩 ⇒ 高座滝 ⇒ 阪急芦屋川 


































2012年11月2日金曜日

栄光と挫折



 たいがいの人は、自らの人生に何らかの栄光を求めています。そして、程度の違いはあるにせよ、たいがいの人に、何らかの栄光の時が訪れます。

 人間には、その栄光によって、驕慢になる人と、謙虚になる人の2種類があります。前者のほとんどは、栄光を、単なる僥倖や悪事によって手に入れた人です。後者は、ほぼ全員、努力と忍耐によって栄光を掴み取った人です。そして、前者は堕落と醜悪への坂道を転げ落ちることが多く、後者はほとんどが人間としてより高まっていきます。

 栄光を得ることによってではなく、栄光を得た後の行ないによって、その人が栄光にふさわしいかどうかが判明するものなのです。



 さて、たいがいの人は挫折することは望みません。しかし、人生には必ず、大なり小なり、挫折の時が訪れます。

 挫折によって、誰もが心くじけ、落ち込んでしまうものですが、失意の時期を通り抜けた後、ここでも、人間は2種類に分かれます。挫折によって、希望を失い、高まることを諦めてしまう人と、以前に増して闘志を燃やし、再び高みを目指す人です。

 挫折によって完全に心砕かれた人を、ぼくは責めようとは思いません。人間には背負いきれないほどの悲しみや喪失感がこの世にはたくさん存在しています。しかし、自らの力で再び高まっていく力を持ちながら、努力を放棄し、いじけて縮こまってしまうような人に共感を持つことは、ぼくにはできません。


 

 ぼくにとって魅力的なのは、栄光によって高められ、挫折によって磨かれた人です。つまり、常に高みを目指している人です。人は、そうすることによって輝きを発します。

 そして、そういう人は、常に自らを愛し、尊敬しています。だからこそ、栄光の中で驕らず、挫折の時に勇気を持てるのです。他人の評価にすがったり、不運を他人のせいにしたりしないのです。

 また、そういう人は、外部に向かって働きかける力だけではなく、自己を律する内面的な力をも持っています。だから、謙虚であり、他人にも優しくなれるのです。

 ぼく自身は、もちろん、そういう魅力的な人間ではありません。しかし、そういう真の強さを持った人間になることが、とりあえず、ぼくの目指すべき高みなのだと思っています。


2012年4月29日日曜日

萌える若葉 その2

 
 
 フィナーレとしての紅葉に劣らず、プレリュードとしての紅葉も、また感動的なものです。
 
 深い荘厳さには欠けるかもしれませんが、無敵のエネルギーを感じさせてくれます。まさに炎の如き、生命力の象徴です。
 
 眺めているだけでも、そのエネルギーのおこぼれにあずかって、元気が出てきます。
 
   



2012年4月22日日曜日

路傍の貴顕 その13




 今年も不順かつ荒れ模様の春でしたが、野の花たちは、また、元気で可憐な姿を見せてくれました。

 この春は、ハイネの詩の一節を、強い実感を持って思い起こさせるものでした。


冬に逐われし数々も
春来たりなば汝に還り来む
数多の物なお汝に残されてあり
この世は今もげに麗し…


 常に希望を持って、楽しく行きましょう!



















2011年9月19日月曜日

至福の85リットル

  
 先日、家中の至る所にのさばっている雑多な物どもの圧迫感に耐えきれなくなって、収納場所を確保すべく、押し入れ等の整理をおっぱじめました。…すると、ウサギ小屋にしてもちっぽけ過ぎるような我が家の中に、まあ、あきれ返るくらいの膨大な物品の数々がギュウギュウ詰めになっていることに気付かされました。もちろん、そのほとんどが値打ちのないがらくたですが。
 
 数十分奮闘し、数枚のゴミ袋をいっぱいにしたところで、早くもギブアップし、少し生じた隙間に新たながらくたを詰め込んで、早々にこの苛立たしく埒の明かない仕事を強制終了しました。
 
 その夜、ビールのコップを手に、まだ家の中に転がっている数個の丸々と太ったゴミ袋を眺めながら、思わず知らず、こんなことを考えました。
 
 「このゴミ袋の中身は、85リットルのザックにはとうてい入りきるまい。しかも、我が家のあちこちには、おそらく、この数百倍もの嵩高い物品どもがひしめいているのだ!」
 
 そんなことを考えたのも、かつては、夏であれ冬であれ、よく、85リットルのザックひとつをひっ担いで、長い時は2週間ばかりも人里離れた山の中を徘徊していたからです。
 
 そのザックには、テント、シュラフ、衣類、食糧、食器、調理具、コンロ、燃料、ヘッドランプ、等、等、生活に必要なすべてが詰め込まれていました。現地で補給するものは、水のみです。
 
 日中は、雄大な空と山が、たっぷりと満足感を与えてくれます。そして夕方、テントをおったて、中に転がりこんでしまえば、その2立方メートルに満たない空間の中にも、この上なく楽しく豊かなひとときがぼくを待っているのでした。
 
 もちろん、食事はこの上なく質素です。しかし、食後に、アルミカップにバーボンを注ぎ、ごろりと横になってしまえば、古代ローマの王侯貴族も羨むばかりの優雅な宴会の始まりです。
 
 高処を渡る、あるいは木々の梢と戯れる風の歌声に耳を傾け、キャンドルの炎の幻想的なダンスに見入り、ホタテの紐の干物や落花生をつまみながらちびちびとバーボンを嗜めば、これぞ至福の極み、この世の楽園に他なりません。
 
 …85リットルのザックひとつで、かくも幸福な日々が送れたのに、今、その数百倍の物資を所有して、それほど豊かでも幸福でもないのは、いったいどういうわけでしょうか? 
 
 さまざまな道具を所有することで、確かに生活は便利になりました。でも、道具たちは、その所有者に、自分たちの世話をすることを要求します。
 
 たとえば、自動車は言います。「ローンを払え、駐車場を用意しろ、保険をかけろ、税金を払え、ガソリンを入れろ、オイルのチェックをしろ、車検を受けろ、シートカバーをかけろ、ワイパーゴムを換えろ、タイヤの空気圧を計れ、バッテリー液を補充しろ、ワックスを塗れ、窓を拭け…」
 
 便利さと豊かさは、まったく別のものなのではないでしょうか? 豊かさは心にこそ宿るものなのだとぼくは思います。多くの「物」に追い使われる生活は、どう考えても豊かとは言えません。


 アレキサンダー大王の好意に対して、ただ、日当たりの妨げにならないよう立ち去ることだけを求めたディオゲネスは、おそらく真の賢者だったのでしょう。
 
 もちろん、ぼくだったら、やっぱり、あれやこれやのおねだりを大王様にしたことでしょうけど。
 
 
 


 
 
 

2011年4月5日火曜日

荒地山




 4月3日、下の子供と荒地山(六甲山)に行ってきました。
 
 曇りがちで、やや肌寒い1日でしたが、歩くにはちょうど良かったです。

 岩梯子付近では少しロッククライミングの雰囲気が味わえて、子供は楽しそうでした。

 阪急芦屋川 ⇒ 鷹尾山 ⇒ 荒地山 ⇒ 横池 ⇒ 風吹岩 ⇒ 高座滝 ⇒ 阪急芦屋川  というルートでした。