2017年8月27日日曜日

冒険について思う諸々のこと




 最近「冒険」という言葉や文字を見聞きすることがほとんどないように感じます。そのかわりに「安全」とか「安定」という言葉を見聞きする機会が増えたように思います。こういうところにも時代が反映されているような気がします。

 まずは「冒険」の意味を検索してみました。すると「危険を承知で何かをすること」「成否が不確かなことを敢えて行うこと」といったところが定義とされていました。

 これにひとつ付け加えるなら、危険を正しく認識せず、また、それへの対策を充分に練りもせずに無闇矢鱈に突っ走るのは、冒険ではなく、無謀もしくは愚行です。

 ぼくがまだ若かりし頃、冒険は概念ではなく、ごく普通に日常の一部でした。そして冒険こそが人生の最重要事項だった時期もありました。まあ、往々にして、それは無謀や愚行に傾きがちだったのですが…

 若者は(先日もこのブログに書きましたが)上昇する者です。上昇には多くの場合危険がつきまといます。その危険を克服して上昇することが、若者の歓喜の源のひとつです。


 かつてぼくは、ロッククライミングにのめり込んでいました。その頃のひとつのエピソードです。

 ある時、高さ50メートルほどでほぼ垂直だけれど比較的簡単だと思われたルートを単独(ノーザイル)で登りました(無謀な行為です!)。順調に登って行ったのですが、残りあと僅かというところで、かなり困難な部分に遭遇してしまいました。わずか1センチほどのホールド(手がかり)と不安定なスタンス(足がかり)に命を預けて、次の大きなホールドまで体を持ち上げなければならないのです。降りるのはより困難。行くしかありません。何度もホールドとスタンスの感触を確かめ、気を集中し、指に「絶対離すなよ」と言い聞かせて、思い切って体を持ち上げ、大きなホールドをなんとか掴みました。やれやれやれ…助かった…

 そうした大ピンチの時、ツーンと硫黄のような臭いがあたりに漂います。いわゆる「死の臭い」です。そして周囲に深い闇が拡がるのを感じます。「死の淵」です

 もちろん、そんな経験はもう2度とごめんだと思うのですが、その経験が、ロッククライミングの真の魅力を提示してくれたのです。

 それは「コントラスト」です。生と死のコントラストです。普段は社会や組織の中で薄ぼんやりと漂っている自分の命が、暗い死の淵をバックにした時、まばゆい珠玉の輝きと感じられたのです。

 冒険心は、人類の進歩を促す原動力のひとつです。故に、冒険は、若者ならずとも、人の心を熱く燃え立たせます。他人の冒険談でも、聞けば心浮き立つのではないでしょうか。
  
 全く冒険と無縁な人生は、味気なくつまらないと思います。だからといって、ゲーム機でピコピコと冒険をするのは、それこそ愚昧の極みだとぼくには感じられます。あんなのはバカになる危険を冒すという類の冒険ですね。身体能力どころか、脳みそを使うことさえありません。

 ま、それはともかく、本物の冒険は心を高揚させ、自分の存在を確たるものと感じさせてくれます。危険が伴なうものゆえ冒険をお勧めはしませんが、冒険の意味と価値についてじっくり考えてみることはお勧めします。



  

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