2008年4月27日日曜日

道ばたのスペシャル食材: ムラサキカタバミ








 カタバミは、アスファルトの割れ目など、ごくわずかの隙間からも顔を出し、強い繁殖力ではびこる、どちらかと言えば嫌われ者の雑草です。

 でも、このムラサキカタバミの花は、ぼくの最も好きな花のひとつです。

 ムラサキカタバミは、南アメリカ原産で、江戸時代末期に観賞用として導入されたものが日本に広く帰化したそうですが(wikipediaによる)、これを愛でた昔の日本人の趣味の良さに、喝采を贈りたいと思います。

 花の直径わずか2cmほどですが、シンプルな形状と爽やかな色あいが、ストレートに見る人の感性に訴えてきます。

 ちっぽけなこと、ありふれていることによって、美は、いささかもその価値を減じられはしません。

 ちなみに、カタバミの花言葉は「輝く心」。ぴったりです。

 さて、眺めるだけで心地よいカタバミですが、食材としても、かなりの優れものです。

 これはやはり、てんぷらでしょう。葉と花をいっしょに使います。衣を薄めに付け、さっと揚げましょう。衣ごしの緑とピンクが、とってもおしゃれです。

 酸味のある独特の味わいが、他の食材の中でよいアクセントになります。

 視覚と味覚の両方を楽しませてくれるカタバミは、日本料理の極意を体現した素材と言えるのではないでしょうか(ちと、おおげさかな…)。



 黄色のカタバミも、なかなか素敵です。




 

2008年4月24日木曜日

近郊のパラダイス







 兵庫県宝塚市北部の山を彩る新緑です。
 
 夢のような光景です。写真では、とうてい、あの圧倒的な美しさをお伝えしきれません。どうか、想像力を最大限に発動してください。
 
 ぼくは、まったく宗教的な人間ではないのですが、こうした美しい風景のさなかに佇む時、これこそが天国だ! と感じずにはいられません。そして、今、こんなにも美しい世界を享受することを許されるほどの、どんな善行を前世で行なったのだろうか? というふうに考えてしまいます。
 
 ともあれ、穏やかな陽光を浴びた新緑の海原を漂うひとときは、季節と同様にはかなくも移ろい行く人生の中で、最高に幸福な時間のひとつです。
 
 ファウストも、この素晴らしい瞬間に向かってなら、彼が追い求めていた言葉を投げかけるのではないでしょうか。
 
 「とどまれ! お前は美しい!」 


 

2008年4月23日水曜日

武庫川のユリカモメと鵜





 

 昨日、武庫川(兵庫県)で、ユリカモメに出会うことができました。国道2号線のあたりです。数百羽の群が翼を休めていました。渡りをするために集結しているのでしょうか。

 夏羽になったものは、羽根つきで負けまくったように顔が黒くなり、とてもユーモラスなご面相です。

 よい旅を! 


 


 さて、こちらは、鵜だと思います。同日、ユリカモメがいた場所から少し上流で遭遇しました。

 艦隊を組んで、時々潜航しながら、悠々と航行していました。

 この時期、新緑が心を浮き立たせてくれますが、いろいろな鳥に出会えるのも、大きな楽しみのひとつです。




2008年4月20日日曜日

武庫川のヌートリア その2




 
 1年ぶりにお目にかかりました。ヌートリア君です。 (2008年4月4日付けの「武庫川のヌートリア」参照)

 2匹仲よく寄り添っていました。夫婦でしょうか。

 すっかり人馴れした様子で、釣り人からパンやサツマイモをもらって、無心にかじっていました。

 どちらも、去年見たものより幾分小ぶりで、違う個体のようです。

 ヌートリアは、日本各地で繁殖しているらしく、害獣として駆除の対象になっているところもあるようです。

  たまに出会うとほほえましい気分にさせてくれますが、彼らの存在が日本の生態系にとって好ましいとは言い切れず、複雑な気持ちにさせられます。


 

2008年4月19日土曜日

道ばたのスペシャル食材: ヤブガラシ

 山菜としては、とてもおいしいヤブガラシですが、雑草としては、たいへん嫌われ者です。

 その名のように、藪を覆い尽くして枯らしてしまうほどの旺盛な繁殖力を持っています。ある人が、おいしいから、と、これを自分の庭に植えたところ、他のすべての植木類を絶滅させてしまったそうです。


 この写真くらいに、地面から首を出して間なしが、いちばんの食べごろです。茎の先端の柔らかい部分や、若い葉を利用してください。

 お勧めの食べ方は、てんぷらと、おひたしです。ぬめりのある食感は、どちらにもよく合います。

 かきあげを天ぷら蕎麦にすると、すごく風流です。

 おひたしは、多めの湯でさっとゆがいて、ポン酢で召し上がってみてください。文句なしの絶品です。

 若いうちは赤茶けた色をしているヤブガラシですが、熱湯に入れた瞬間に鮮やかな緑色に変わります。嫌われ者がヒーローに変身する瞬間です。

 しかし、輝きを放つのが熱湯に放り込まれた時とは、ちと、かわいそうな気がします。

  

2008年4月18日金曜日

道ばたのスペシャル食材: タンポポ

 



 おなじみのタンポポです。

 日本の在来種と、帰化した西洋タンポポがあるようですが、食材としては、そう厳密に区別をつけなくても、おいしそうなのを選べばいいと思います。

 また、花の咲く前のほうがおいしいらしいですが、咲いていたって結構おいしくいただけるので、これも、そうこだわらなくてもいいかと思います。

 ちなみに、タンポポは、西欧ではれっきとした野菜で、食用に栽培もされているそうです。

 てんぷらやおひたしもいけますが、これは、ぜひサラダで召し上がってください。

 葉を氷水に少し漬け、しゃきっと引き締めます。そして、マヨネーズとケチャップを半々に混ぜたオーロラソース(プレーンヨーグルトとレモン汁少々を加えてもgood)をぶっかけると、完成です。

 シンプルに、塩(できれば、まじめな自然塩)をつけて食べるのも、最高です。

 どちらも、冷たいビールとよく合います。

 ぼくにとっては、タンポポは青春の味です。初めて食べたのは、もっとも多感な青春の黎明期でした。そのさわやかなほろ苦さは、人生の真の苦さを知らない、まだ柔軟だった感性を心地よく刺激し、その頃の溌剌とした気分のインデックスとして、味覚の中に刻み込まれたのでした。

 今もなお、タンポポのサラダをほおばると、さながら魔法の若返り薬を口にした如くに、芽吹いたばかりのみずみずしい青春が、ぼくの胸の中へと駆け戻ってきます。

 …ほんの一瞬ですが。



2008年4月15日火曜日

道ばたのスペシャル食材: 柿の葉


 
 うるわしい祭典が幕を開けました。輝かしい陽光によって、無数の聖火台に緑の炎が灯されます。

 人間界の4年に1度の祭典は、血なまぐさい抗争によって紛糾していますが、「春」という毎年の祭典においては、参加者全員が、曇りなき歓喜の調べを、美しい調和の中で奏でています。

 さて、この写真は、そうした緑の聖火のひとつですが、ごくありふれた柿の葉です。この柿の若葉が、ぼくのお勧めの食材です。

 てんぷらにすると、たいへん美味です。春の香りが体中に広がります。

 柿は、葉にもビタミンCが豊富ということなので、美容にもよさそうです。

 ただ、食材として適しているのは、柔らかい若葉だけなので、その時期はごく限られています。

 ぼく自身は、もう何年もこれを食べていません。なぜなら、この短い期間に、合法的に少し葉をいただいてもいい場所に生えている柿の木に、なかなかめぐり会えないからです。

 しかし、あちこちの庭や畑でみずみずしい輝きを放っている柿の若葉を見ると、あの何とも言えない味わいを思い出して、楽しくなります。
 
 見るだけでは腹は満たされませんが、ハートは結構満たされます。
 
 

2008年4月12日土曜日

山行記録: 飯豊(いいで)山 縦走

 …ということで、古い記録でございます。

        
飯豊山縦走


1995年10月7日(土)

 ほぼ1カ月前、北海道の大雪山、十勝岳方面を縦走してきたが、ちょうど紅葉プラス雪化粧という、すばらしい取り合わせを楽しむことができた。で、夢よもう1度というわけで、紅葉前線を追いかけて、今回、東北の山に登ることにした。
 
 21:30大阪発の、新潟行き夜行高速バスに乗車。

 バスは3列シートでゆったりと座れ、リクライニングもかなり深いので、夜行列車よりかなり楽だ。夜行列車だと、たとえ1ボックス(4人分の席)をひとりで確保できたとしてもゆったりと眠れる体制をとることができず、寝不足と体の節々の痛みと共に山行を始めなければならない。ましてや混雑していれば悲惨極まりない状況となる。もっとも快適にアプローチできる乗り物は何といっても船だろうが、どこにでも船で行くわけにもいかない。

10月8日(日)

 7:00ちょい前に新潟駅前着。まずまず眠れた。1時間あまり、駅前の食堂で朝食をとったり散策したりして時間をつぶし、8:24発のJR快速「あがの2号」に乗車。10:06、山都で下車。

 登山口までのバスは、夏場の1カ月しか運行されていない。で、タクシーに乗るしかない。18Kmの料金は結構な額になるだろうが、大阪で終電がなくなるまで飲んでいてタクシーで帰宅することを思えばはるかに安い。とはいうものの、できれば誰かと相乗りできれば…と一緒に下車した連中を見渡すと、ザックを担いだ3人組が目についた。声をかけ、話を聞くと、彼らは弥平四郎登山口までタクシーで行くという。それも、登山口から徒歩1時間10分行程手前で一般車進入禁止になっているのを、タクシーを乗り入れる許可を取ってあるという。ぼくは川入(飯豊鉱泉)から入山するつもりだったが、どちらでも大差はないので、彼らと同乗させてもらうことにした。距離は長いが、ひとりよりはかなり安い。

 3人はいずれも20代と見える。男ひとりに女ふたり。聞けば、大阪のある山岳会のメンバーとのこと。ついでながら、タクシーの運転手さんも登山家ということで、すでに日本100名山を制覇し、目下200名山にかかっているという結構なつわものだった。山ヤのよしみか、自動販売機の前で車を止め、全員にジュースなどをサービスしてくれた。かなり車の底をこすりながら林道を登り、登山口着。メーターはちょうど1万円。

 11:50、登高開始。曇りで涼しい。15分ほどで祓川山荘着。無人。ここで昼食とする。再び歩き始め、高度を上げてゆく。汗ばんできて、半ズボン姿に変身する。

 松平峠あたりからガスがかかってきて、風もやや強まり、寒くなってきた。おまけに雨がポツポツ降り出した。この日は以後ずっとガスとシトシト雨。

 15:00頃、三国小屋着。2階建のしっかりしたきれいな小屋だ。30~40人宿泊可能。この時期は無料開放されている。この日の同宿者は20人ほど。2階の片隅に陣取る。やはりテントより快適だ。特に雨の日は助かる。水場はやや遠いらしいので、必要な量は担いで来たことだし水汲みは省略することにした。

 16:30くらいに大阪の3人組が到着。すぐに男性が水汲みに出かけた。が、1時間以上たっても帰ってこない。この辺りに詳しい人に聞いてみると、水場はかなり険しい岩稜を下ったところにあって、しかも分かりにくい、ということなので、女の子ふたりが非常に心配し始めた。外は相変わらずの雨とガス。しかももう真っ暗になっているので、確かにかなり心配してもいい状況だった。

 女の子が捜索に行くというので、ぼくも一緒に行くことにした。そして出発準備を始めたところで、行方不明者が自力で帰って来た。お土産はからっぽのままのポリタン。滑ったり転んだり迷ったりしたあげく、水場を発見できなかったとのこと。ともあれまた雨の中に出て行かなくですんだ。3人組は余裕のあるパーティーに水を分けてもらっていた。
 
 20:00には寝る体制に入った。他のパーティーもほとんど静かに横になっている。だが、1階を占拠している学生パーティーがいつまでも宴会をやめようとしない。20:30に「いい加減に寝ようぜ」とチェックを入れる。それでやっと静かになった。年々非常識な登山者が増えてくるようだ。

10月9日(月)

 4:00頃起床。5:30出発。晴だが東にやや雲が多く、日の出は見られなかった。三国岳から種蒔山にかけての稜線付近はよく紅葉しているが、陽が差していないので沈んだ色調の中にある。想像力の欠如した人間ならがっかりするかもしれない。切合小屋近くの水場で水を補給し歯を磨く。じっとしていると寒い。

 飯豊山神社から飯豊本山へ。このあたりは新雪がついている。前日の雨で大分溶けたようだが。

 御西小屋にザックをデポし、大日岳(飯豊山系の最高峰)まで往復。御西小屋からしばらくはなだらかな稜線で、陽光も豊かに降り注ぎ、ゆったりした散策気分を楽しむ。しかし、烏帽子岳への登りにかかった頃からにわかに厚い雲が湧いてきて、登るにつれガスと風が出始めた。

 梅花皮小屋に到着したのは14:00くらいで、十分次の門内小屋まで行ける時間だったが、ガスの中を歩いてもおもしろくないし、雨が降り出しそうでもあったので、この日はここまでということにした。ここも2階造りのきれいな小屋で、管理人はいない。

 2階に陣取り、まず水汲みをすませる。そしてあったかい紅茶を作ってのんびりくつろいでいるうちに、雨が降り出した。しかも強風を伴なった土砂降りだ。早めに小屋に入って正解だった。

 雨は夜まで降り続いた。夕方にかけて、途中で追い越した人、前日同じ小屋で一緒だった人などが続々と到着したが、ほとんど下着までずぶ濡れ状態だった。ぼくのすぐ近くに陣取った若い女の子のパーティーなど、寒さのあまり恥じらう余裕もなく、大急ぎでTシャツまで着替え始めた。ぼくは、もちろん紳士らしく目をそらしたが、そらし終えるまでに着替えが終わってしまった。

 最初はひとりで2階を占領していたのだが、結局、ほぼ満員状態となった。前日もここに泊まった人の言うには、昨日はこんな生易しいものではなく、ひとり50センチくらいのスペースしかない超満員だったとのこと。

10月10日(火)

 ゆっくり5:00まで寝る。

 6:23出発。雨は夜のうちにあがり、さわやかな青空がいっぱいに広がっている。眼下には雲海が純白のうねりを見せている。北股岳への登りの途中で、梅花皮岳に遮られていた太陽が顔を見せた。

 すばらしい朝だ。もっとも、朝は大概すばらしい。早朝のひとときには人生が凝縮されている。いつも太陽が高く昇るまで惰眠をむさぼっている人間は、人生を半分も生きはしないのだ。

 地神山から杁差岳を眺めてしばし迷う。予定通り丸森尾根から下山するか、杁差まで行くか。時間も日程も十分余裕があるのだが、予定通り下山することにした。どこかのおっさんが勝手に決めた「日本200名山」というタイトルにひかれてわざわざ遠回りする必要もないし。それより飯豊温泉の方がずっと魅力的である。

 丸森尾根を紅葉を楽しみつつ下る。まだ紅葉の全盛期ではないが、全山まっ赤でないと気がすまないのは心貧しき者だけである。所々で美しく染まっている木々は十分にぼくを楽しませてくれた。

 11:10、天狗平着。無事山行終了。

 この日は長者原のキャンプ場に泊まり、明日の夜、新潟から敦賀までの船に乗る予定なので、長者原まで1時間行程のアスファルト道を歩き始めた。と、間なしに、ショベルカーを積んだ軽トラックのおじさんが、手も上げないのに止まって乗せてくれた。おかげで楽に長者原まで行けた。

 まずは長者原の国民宿舎で温泉につかる。極楽気分。風呂上がりに缶ビールを1本仕入れ、近くの芝生で残りの食料をアテにたしなむ。通りすがりの女性がおにぎりとヤクルトをくれた。

 さて、温泉につかり、暖かい陽差の中でビールを飲んでいい気分になってしまうと、これからテントを張るのがおっくうになってきた。今日の高速バスかJRで帰っちまおう! と決断したのが13:30くらい。バスは16:10までない。JR玉川駅まで約15km。歩こう!

 そして10分も歩かないうちに、また車が止まってくれた。山男のふたり連れ。新潟駅まで行くというので、甘えてずっと乗せてもらった。非常に助かりました。

 16:30、新潟着。駅近くを物色し、良さそうな小料理屋の暖簾をくぐる。結構安くて新鮮でうまい料理と生ビール、そして何種類かの地酒を楽しみ、店員さんや常連のお客とおしゃべりしながらくつろいだ。料理と酒に堪能したので、ではお勘定を、と言うと、夜行で帰られるんならまだ時間があるでしょうから、ゆっくりしていって下さい、と、新聞とお茶を勧めてくれた。この近くに住みたくなった。

 高速バスは満席だったので、22:14発のJR急行「きたぐに」に乗車。比較的空いていて良かったが、やはり首や腰などが痛くなってしまった。


2008年4月11日金曜日

山行記録: 北海道 大雪山~十勝岳 縦走

 走れ! レージー」から、3ヵ月後の山行です。


北海道

大雪山~十勝岳 縦走




1995年9月10日(日)

 職場から直接、梅田のバスターミナルへ。舞鶴行きの高速バスに乗りこむ。東舞鶴駅の少し手前で下車。ここまでは3カ月前と同じパターンだ。だが、今回は愛車レージー・ギルタナー号(折りたたみ自転車)は一緒でない。で、のんびりと歩いて新日本海フェリーの乗り場へ向かう。雨が降ったらしく道が濡れているが、もう雲の切れ目から月が時折顔をのぞかせている。昨日は中秋の名月だった。6月にも、同じ航路で満月に近い月を眺めたっけ。

 乗船手続後、近くの食堂でラーメンを食い、港を散策。そして乗船。「ニューすずらん」。おなじみの、この航路きってのポンコツ船。だが何回も乗っているうちにだんだんと愛着がわいてくる。乗客は6月よりかなり多い。が、2等船室でも結構ゆったりと寝られる状態なので安心する。バイクの若者が多い。23:00出港。

 風呂に入り、さっぱりしたところでビール(350ml)を1本仕入れる。そしてもう1本追加。いい気分となる。やはり旅はいいものだ。出かけるまではおっくうでも、来てみれば心は浮き浮きしてくる。街中でいくら飲んだって、こんなに浮き浮きすることはまずない。

 さて、3本目を仕入れるべきか…。ルビコン川を前にしたカエサルよろしく決断を迫られたが、結局、過ぎたるはなお及ばず、という名言に従い、程よい心地のところで切り上げ、海を少し眺め、歯を磨いて横になった。

9月11日(月)

 8:30目覚める。よく眠れた。レストランで朝食。少し波があり、やや揺れる。曇っているが、青空も見える。洋上の雲は、地形の影響を受けないせいか、それとも遠くまで見通せるせいか、陸上とは表情がかなり違って見える。素直で、本来の個性を見せているように思える。

 午後、波はなおやや高く、風も強まり、デッキへ出るドアは閉鎖された。晴れ間は朝より広がり、雲は幾重もの帯状の濃密な高積雲から、積雲へと変化してきた。揺れは続いている。部屋の反対側の窓を眺めていると、船の揺れに合わせて、風景が海ばかりになったり空ばかりになったりする。船酔いするほどではない。

 夕方、雲が美しく染まった。海に沈む雄大な日没が見られたが、その頃には天気が良くなりすぎて、日没後の空を華麗に彩るべき雲がすべて消えてしまっていたのはやや残念だった。

 夕食後、20:00に就寝。

9月12日(火)

 3:00、間もなくの入港を告げるアナウンスで目覚める。定刻の 4:00、小樽港着。


 下船し、フェリーターミナルビルのカフェーで朝食を摂る。6月にも同じカフェーで同じ時刻に朝食を摂ったのだが、その時は、小樽湾の向こうから昇り来るすばらしい朝日を眺めながらだった。今、大きなガラスの向こうには完全な闇夜が広がっている。そして冷たい雨が街頭に照らされたアスファルトを打っているのが見える。

 食事を終え、しばらくぼんやりと外を眺めているうちに、空にほのかな明るみが差し始めた。そして、ビルを出る時には雨はあがり、残月が雲間から顔を出した。さすがはお天気坊や。肌寒い!

 南小樽駅まで歩き、5:45発の始発に乗車。札幌で特急オホーツク1号に乗り換える。最初席がなく、ザックに腰をかけていたが、旭川から座れる。上川で下車。すぐに層雲峡までの直行バスが出る。

 バスに乗っている間、かなりの雨。だが、層雲峡で下車した時(10:00)にはあたりに雨の痕跡は見られなかった。そのかわり、すごい風が吹いている。時々川の水が巻き上げられ、しぶきとなって叩きつけてくるので、橋を渡るのに慎重にタイミングを選ばなければならない。

 心配したとおり、ロープウエーは強風のため運休中だった。30分ばかり待ってみたが、風の収まる気配はないので、歩いて登ることにした。ロープウエー、リフトの料金を2時間ちょいのアルバイトで稼ぐと思えばよい。とはいえ、黒岳まで1200m以上の高度差があることを考えれば、金で解決した方がずっとよかったのだが…。

 ロープウエー駅から林道を少し歩き、登山道へと突入する。いきなり急登となる。歩いていると結構汗ばむ。ゆっくりと高度を上げてゆく。相変わらず風が激しく吠えているが、道は樹林帯の中なのでさほど影響はない。途中から時折雨がおっこちてきだして、雨具が必要となる。

 リフト上駅でキタキツネが出迎えてくれた。駅はシャッターが下りたままで、人間の姿はない。ここの軒下で昼食とした。じっとしていると寒い。駅前にぶらさがっている温度計を見ると7度だった。

 再び歩き始める。リフト駅を過ぎると、森林限界を超え潅木帯となる。鮮やかに紅葉している。天気が良ければうっとりするような眺めだろう。

 雪が現われ始めた。新雪だ。大雪では9月8日に初雪が降ったということだ。


 黒岳の頂上に出たとたんに強風をまともに食らうこととなった。それも並大抵の風ではない。とうていまともに歩くことなどできない。黒岳から黒岳石室まで道沿いにロープが張ってあったが、このロープのおかげで何度か吹っ飛ばされることを免れたのだった。

 黒岳石室(山小屋)に着いたのは14:00前だったが、先に進める状況ではなかった。また、テントを張れるような状況でもなかった。で、まっすぐ小屋に飛びこんだ。素泊り1300円はお値打価格というところ。到着した時、小屋の外にかかっていた温度計は2度を指していた。

 小屋はもちろん板張りのざこ寝で、十数人の同宿者がいた。聞けば、ほとんどの人が2日間ここで停滞していたという。今日はずっとこの風で、昨日は猛吹雪だったという。風はなおしばらく吹きまくり、小屋を揺るがせた。朝まで船で揺られ、列車とバスに揺られ、その上、山小屋でまで揺られるとは思ってもみなかった。

 夜になり、風は弱まってきた。寝る前に外に出てみると、すばらしい星空となっていた。天の川の白々とした流れを見ていると、日本の発想よりも、これをミルキーウェイと名づけたギリシャ人のセンスの方に軍配を上げる気になった。

 空から大地に目を戻すと、キタキツネが佇んでこちらを見ていた。ヘッドライトで照らすと、目がエメラルドのような、星々に劣らない、すばらしい輝きを放った。

 ああ、女性方よ! 高価な宝石を無理して購わなくとも、世界は麗しき輝きに満ちている。星やキツネの目だけではなく、草木の葉のきらめき、朝露や川波に戯れる陽光、ホタルや海の燐光等々、自然は数多の心ときめかす輝きで我々を魅了してくれる。…だが、あなたが、独占的所有が伴わなければ気がすまないという狭量な精神の持ち主であるならば、ケチな鉱石の貧相な輝きで満足なさっているがよろしい。

 小屋は結構隙間風がひどく、よく冷えた。就寝前に室内でちょうど0度だった。だが、よく眠れた。

9月13日(水)

 3:30起床。期待どおり穏やかな快晴。早立ちをするつもりだったが、同宿の人たちがすぐそこの桂月岳まで日の出を見に行くというので、ちょっと行ってみる気になった。荷物の整理をしてから、美しい朝焼の中を数分登ると桂月岳頂上だ。きれいな日の出が見られた。
 
 そして朝の光が、夢のような光景を眼前に浮かび上がらせた。青く澄んだ空、純白の新雪をまとった峰々、緑と紅葉。今回はこの取り合わせを最も期待していたのだ。

 6:30、小屋を後にする。北鎮岳のピークを踏み、間宮岳へ。ここは風が強い。ザックをデポし、旭岳まで往復。2290m、北海道の最高峰。

 頂上にいた間、あいにくガスに巻かれ、展望はイマイチだった。 間宮岳から北海岳まで、左手にはお鉢平の紅葉と新雪のすばらしいコントラスト、右手にはトムラウシ山を中心とする山並を眺めながら歩く。

 途中、またザックをデポし、白雲岳まで往復。頂上からは知床の山々が遠望できた。北海岳から白雲岳までの間、雪がやや深く、膝くらいまで入りこむ所もあった。白雲岳避難小屋を過ぎ、少し下ると、もう新雪は見られなくなった。

 ここからトムラウシ山に至る間、ルートは山岳地帯とは思われないほどなだらかになる。湿地帯や池、雪渓が点在するゆるやかな高原状のうねりが、鮮やかな紅葉に彩られつつ、はるかに続いている。うっとりと、夢心地で、人生を時間の中に定着しつつ歩を進めた。

 忠別岳頂上で、黒岳石室で同宿だったS氏に追いついた。S氏も今日はぼくと同じ所で泊まる予定だというので「後でまた…」と先に進み、五色岳、化雲岳のピークを経て、ヒサゴ沼避難小屋に16:30到着した。2階造りのしっかりした建物で、20~30名くらい宿泊可能。やがてS氏も到着。この日はここに8名ほどが泊まった。

 夜、雲が出てきて、一時雨もパラついた。やけに暖かい夜だった。

9月14日(木)

 4:00起床。曇。稜線はガスに覆われている。せっかくのトムラウシ山をガスに巻かれたまま通過するのはおもしろくないので、空を睨みつつ出発をグズった。しばらく待つうちに、ガスがしだいに上がって行く気配となったので、この日トムラウシ山まで往復してここに連泊するというS氏といっしょに出発することにした。

 6:50出発。おしゃべりしながら、のんびりと歩く。ガスはしだいに上がり、トムラウシ山頂上に着いた時には結構見晴らしがきく状況となり、しばらくガスの切れめからの眺望を楽しんだ。

 トムラウシから少し下り、ヒサゴ沼への巻道の分岐でS氏と別れ、再びひとり旅となって十勝岳方面へ踏み出した。

 しばらくはなだらかな道で、ユウトムラウシ川源頭のカール状地形の上部を巻いて行く。時折陽も差し、このカールの紅葉が格別見事に映えた。

 このあたりまではうっとりと歩けたが、ツリガネ山への登りにかかるころから再びガスが巻き始め、時々雨がパラつく天気となった。この日は以後ずっと濃いガスの中で、暗く、視界のない、陰鬱なムードの中での行動となり、疲労感が大きかった。景気づけとクマよけに「森のクマさん」などを歌いながら歩く。

 途中、大型の猛禽(鷲だと思われる)が1羽、風を利用して、広げた翼を微動だにさせずに上空の一点にピタリと静止して地上を窺っているのを見た。

 オプタテシケ山への登りは結構手ごわく、バテ気味となる。疲労感と暗いムードを救ってくれたのは、このあたりで特によく見かけたナキウサギ(見かけはウサギというよりリスに近いと思う)たちだった。「チュルルル」とひょうきんな声で鳴きかわしつつ、身軽に跳び歩き、愛敬のあるとぼけた顔で岩の上からこちらを窺ったりする。

 一見ひ弱そうに見える彼らだが、その生活環境を考えてみるなら、その屈強な生命力に敬服の念を抱かずにはいられない。ぼくが体ひとつでここに放り出されたなら、今の比較的恵まれた時期でさえ2日と生き延びることはかなうまい。だが彼らは、1年のうち8カ月以上も雪に閉ざされるこの地で、軽やかに屈託なく跳びはねながら生活しているのだ。下界に戻ったら、まずは彼らと、その他この地に住まうすべての生ある者たちの健康を祝し、また今後ますますの発展を祈って乾杯をすべきだろう。

 美瑛富士避難小屋に17:12到着。地図にはこの小屋は「荒廃」と記されていたが、それどころか完全に崩壊してしまっていて、ナキウサギくらいしか宿泊できない状態だった。で、テントを今回初めて張ることとなった。

 若い女性2人のパーティーが先にテントを張っていて「寂しいから、よろしかったらすぐ横に張りませんか」といってくれたが、彼女らのテントは、もし雨が降ったら池になってしまうような低い窪地にあったので、そのことを指摘し、「ぼくはもうちょい水はけの良さそうなところで張りますが面倒でなければそちらが移動しませんか?」と言った。2人は移動しようかと相談していたが、結局「おっくうなので、いよいよ水没しそうになったら移動します」という結論になった。

 ここは水場が遠く、往復20分ほどもかかった。しかも、それは蛾の浮いている小さな水たまりで、その蛾を救助してからでないと水が汲めないのだった。黒岳石室やヒサゴ沼でも大差はなかったが…。

 早めに就寝。

9月15日(金)

 4:15起床。テント内でマイナス3度。テントのまわりの地面は5センチほどもある霜柱でぎっしりと覆われていた。すばらしい快晴。テント場からも壮大な雲海が眺められた。

 6:33、出発。美瑛富士を右手に見ながら回りこみ、岩ゴロの斜面を登りきると美瑛岳だ。頂上から、昨日歩いたルートと十勝岳が見渡せる。十勝岳は火山礫に覆われ、植生のないのっぺりした山容で、何となくタコの干物を連想させる。

 美瑛岳から少し行くと、道は砂礫帯へと突入し、歩き辛くなる。十勝岳頂上では十数人が休憩中で、ほとんどの人が「どこから来たの」と尋ねてくる。デイパック程度を担いだ日帰り登山者がほとんどのこの山域で、でっかいザックを担いでいるのが異様に見えるのだろうか。層雲峡からだと聞くと、みな驚きの色を示す。ある女性は「ご褒美に…」と、チョコレートパンを半分くれた。

 十勝岳頂上からは富良野岳までの展望が開けたが、富良野岳の容姿にはひと目見て心魅かれるものがあった。いい山だと思う。日本百名山のひとつである十勝岳より、ぼくにとってはずっと名山である。

 十勝岳からはかなりの登山者で賑っている。前日の、秘境のひとり旅という雰囲気とは趣がガラリと変わって、観光地のムードに近いものがある。そして、すれ違う人の半分以上が「どこから来たの?」攻撃を仕掛けてくる。ぼくの答えを聞いて、大げさに驚きの声を上げるおばさんあり、拍手してくれる女の子あり、わざわざぼくの後ろに回ってザックの重さを手で量った上で両手を合わせてくれる老登山者ありで、照れてしまう。北海道の人はあまり縦走などしないのだろうか? 

 上ホロカメットク山、三峰山を経て、十勝岳温泉と富良野岳への分岐に至る。ここにザックをデポし、頂上まで往復。縦走の最後にいい山のピークに立ててよかった。

 あとはのんびり下るだけだ。この日は好天に恵まれ、稜線でも存分に紅葉を楽しみながら歩けたが、高度を下げ、樹林帯に突入しても、なお見事な紅葉を楽しめた。

 14:55、十勝岳温泉に到着し、無事山行を完了した。

 さて、山行はここまでだが、旅はまだ終わっていない。明日の夜の船を予約してあるので、今日はどこかに泊まらなければならない。少々ぜいたくしてもいいなと思い、少し下った所にある国民宿舎カミホロ荘に向かう。ここで宿泊できるか尋ねてみたところ、満員です、といわれた。で、とりあえず入浴だけすることにした。露天風呂もあり、心地よかった。

 風呂上がりに缶ビール1本をたしなみながら、作戦を考える。まずは新日本海フェリーに電話をして、予約を今日に振り替えることができるかどうか尋ねてみることにした。結果は「本日は満席でございます」とのことだった。やはりどこかで泊まらざるをえないようだ。地図を見ると徒歩1時間行程ほどのところにヒュッテ白銀荘というのが載ってい る。山小屋らしいので、ここなら泊まれそうだと思って歩き出した。

 少し歩いたところで、道路のすぐ横に砂防堰堤を見つけた。ひょっとして、と思って上に登ってみると、期待どおりにテントを張るのにもってこいの平地があった。しかも、すぐ横の岩壁の下部から滔々と水が湧き出している。水の確保が一番の問題だったので、これで決まりだ。さっそく少し整地をしてテントをおっ立てた。そしてポリタンを持って水くみに出かけた。勢いよくほとばしる水に手をつけてみると心地よい冷たさ…と思いきや、生温かい。あれ、と思って口に含んでみると、酸っぱい! これは立派な温泉(さっきカミホロ荘で汗を流したのと同じ酸性ミョウバン泉)だ。入浴にはいいが、飲料水には不適だ。

 川の水は白く濁っていて、これも飲料不適。あたりを少し捜してみたが、水源は見当たらない。仕方がないので、せっかく張ったテントをまたたたみ、パッキングをして再び歩き出すハメとなった。とんだロスタイム。あたりはもう夕闇が濃くなってきている。

 少し歩き、白銀荘への横道に入ってからヒッチハイクを試みた。2台目で早くも停まってくれた。ありがたい。若い夫婦で、白金温泉まで行くという。で、ぼくもそこまで乗せてもらうことにした。町営の宿泊施設や国設キャンプ場がある。

 白金温泉で降ろしてもらった時は、もうまっ暗になっていた。まず町営宿泊施設を訪ねてみたが、ここも満員。で、キャンプ場へ。19:00着。さすがにここは満員ということはない。

 適当なテントサイトを捜している時に、洗い物をしている女の子に「寒いですね」と声をかけられたが、下界はやっぱりあったかいなあ、と思っていた矢先なので「え、ああ、まあ、そうですねえ…」と、ヘドモドした応答になってしまった。

 テントを張り、買い出しに出かける。店は1キロほど先にしかないが、この際もうひと頑張りだ。食料はまだ結構残っているが、ここまで来れば祝杯用のビールなしですます手はない。

 20:00過ぎに、やっと落ち着いてビールを開ける。疲れのせいかあまりうまくない。500ml缶を2本仕入れたのだが、2本目は半分以上捨ててしまった。あったかい紅茶の方がおいしい。

 星が山上でのようにすばらしかった。21:30頃就寝。

9月16日(土)

 7:00起床。のんびり朝食。そしてテントをたたみ、10:10発のバスに乗る。美瑛経由旭川行き。バスの中で少し迷ったが、旭川まで乗ることにした。

 バスの中で「早くて安い高速バス」という宣伝のアナウンスを聞いたので、旭川駅で調べてみたところ、確かにそのとおりだったので、バスで小樽まで行くことにした。高速バスは20~30分おきに発車するので、まず駅前の食堂で昼食を摂った。そして13:00発のバスに乗車。

 15:00札幌着。ここで小樽行きに乗り換え。

 16:00頃、フェリーターミナル近くで下車。ターミナルビルの小樽温泉に入浴。さっぱりし、喉も渇いたところで、ぶらぶらと歩いて、6月にも行った寿司屋へ。食べ放題コース、プラス生ビール3杯。寿司は38コでギブアップ。途中のコンビニで船中用の食料を少し買ってターミナルに戻ると程よい時間で、間もなく乗船開始。

 台風12号が接近中で、看板やアナウンスでしきりに乗客の不安をあおっている。「海上は大シケが予想されます。到着が大幅に遅れたり、寄港を見合わせたりする場合もありますので、ご了承の上ご乗船下さい。お急ぎの方は他の交通機関への変更をご検討願います。」急ぐ旅ではないし、泳ぎも得意なので、変更の必要なし。それに、憧れの新鋭船「らべんだあ」にやっと乗れるチャンスなのだ。

 満席であるにもかかわらず、割とゆったりしている。2等でも、定員8名の場所に5~6名で落ち着いている。良心的な運営だ。うまい具合に禁煙席の窓際をキープ。23:00出航。船の風呂はこの日はパスし、0:30ごろ就寝。

9月17日(日)

 船中でのんびり。曇りで一時雨。台風の影響で結構波が高く風もあるが、最新スタビライザーのおかげか、あまり揺れない。

 予定通り新潟に寄港。護岸に波が砕け飛んでいる。少し乗客が減る。

9月18日(月)

 定刻の7:30、敦賀に着岸。歩いて敦賀駅へ。特急雷鳥に乗車。無事帰宅した。

2008年4月10日木曜日

山行記録: 走れ! レージー

 
 またもや古い記録で申し訳ないのですが…  



 走れ! レージー
  北海道 自転車と登山の旅



1995年6月11日(日)  

 仕事終了後、職場から自転車で大阪駅へ。舞鶴行きのバスに乗り込む。自転車もバスに積み込んで。

 今回の旅のために、奮発して折りたたみ自転車を購入したのだ。16インチ、約10Kg。折りたたみ、組立とも1分以内に完了でき、キャリングケースは大きなザック程度のサイズである。名前までつけた。「レージー・ギルタナー」号。二十数年前に読んだヘッセの小説に出てくるこの名の少女に関する物語は、ぼく自身の初恋のあるエピソードと重なりあっていて、忘れがたいものとなっている。…まあ、そんなことはどうでもいいが。

 舞鶴でバスを降り(20:00頃)、自転車を組み立て、新日本海フェリーの乗り場へ。乗船手続後、港を散策。そして乗船。「ニューすずらん」。2等船室だが、人は少なく、のんびりできる。窓際をキープ。海と空を眺めることができ、心地よい。

 出港(23:00)までのんびり湯につかる。この航路の最ポンコツ船だが(それでも14385トン)、フロからの眺めはいい(最上部にあり海側がガラス張り)。その後久しぶりにビールをたしなみ、就寝。

6月12日(月)

 8:00起床。レストランで朝食。午前中読書。レストランで昼食。ゆっくり入浴。そしてうたた寝。

 昼寝から覚めると、太陽が海に銀色の道を投げかける時間となっていた。急いで夕食を摂り、デッキで日没を眺める。すばらしい光景だった。あの美しさを描写する文章力を持ち合わせていないのは残念である。ともかく最高の気分だった。おまけに、残照の空から目をめぐらすと、満月が、これも銀の道を海に投げかけていた。

 夜更けの、月光に照らされた海も、神秘的なまったく別世界のようなたたずまいで、すばらしかった。これらの光景を眺めたことだけが今回の旅の成果だとしても、充分来たかいがあったというもの。

6月13日(火)

 4:00、船は小樽港に入港した。フェリーターミナルビル4階の、東側が全面ガラス張りのカフェーで、小樽湾の向こうから昇りくる朝日を眺めながら朝食を摂る。またもや、これだけでも来たかいがあったと思いながら。

 小樽から、いよいよ旅の本番が始まった。てきぱきと自転車を組み立てると、ザックを縛りつけ、恨めしそうな顔で眺めているタクシーの運転手を尻目に、さっそうと北海道の大地を走り出した。

 しばらくは海を左手に見ながら走る。そして海に別れを告げ、定山渓温泉へ向かう道へと入って行く。ほどなく市街地をはずれ、山道にさしかかった。そこでぼくを迎えてくれたのは、この地特有のクリアーな大気と陽光、そして、その中で輝くみずみずしい生命感にあふれた木々や草たちだった。

 空は何とさわやかに澄みわたっていることか! 風はどんなに優しく頬をなでてゆくことか! 鳥たちがいかに楽しげにさえずることか! 自然は圧倒的な魅力でもってぼくの内面を喜びで満たした。このひとときに、憂いや暗い思いを抱くことは極度に困難であった。

 しかし、いかに心が軽やかになったとて、物理法則がその故にぼくを見逃してくれるというわけではない。地球の質量はアインシュタインの方程式通りの空間の歪みを生じさせ、その歪みの最短距離からかなりはずれたルートをたどっているぼくは、宇宙エントロピーの増大に相当貢献させられた。

 …要するに、朝里峠への登りは結構きつかった(変速器なしのミニ自転車にはなおさらに)。で、初めのうちかなりがんばったのだが、ついに力つき、大地に足をつけての押し歩きとなった。

 歩けば長い道のり…。だが、登りっぱなしの道はまずない(人生においてもそうであるように)。峠を越えれば長い快適なダウンヒルが待っていた。ぼくの愛車レージー・ギルタナー号は、登りにはやや弱点があるものの、平地では徒歩にはるかに勝るし、下りにおいては圧倒的な力を発揮する。一気に定山渓ダムまで下り、ここで2度目の朝食に、小樽のコンビニで仕入れたパンとミルクを摂った。

 ダムより、白井川沿いの道を上流へ向かう。白井二股のバス停が余市岳(1488m)への登山口になっている。ここから未舗装の林道が徒歩1時間半行程続いている。当然レージー号を押し登る。帰りが楽だ。

 白井小屋はもう地図上にしか存在していないようだ。ここから山道となるので、レージーちゃんを待たせておいて、ひとりで山頂を目指すこととなった。身仕度は最高のペースで行なわれた。少しでもじっとしていると、無数のブユや蚊で、黒山の虫だかりとなってしまうからだ。

 道はところどころひどいぬかるみだ(そこにミズバショウがきれいに咲いていた)。歩き始めて間なしにひとりの登山者とすれ違ったが(今回の旅で出会った唯一の登山者だった)、この人は途中ササがひどく茂っているのに閉口して引き返して来たといった。確かに、このルートは今シーズンまったく手入れされていないようで、間もなく、ササが伸びたい放題で道におおいかぶさってきた。ペースは落ち、大汗まみれ、ほこりまみれとなる。

 やがてもうひとつの困難が出現した。雪だ。さすがは北海道。この時期、1000mくらいの高度でもかなり豊富な残雪がある。雪そのものはどうってことはないのだが、数十mにわたって雪上を通過する箇所が相当あり、ルートを再発見するのが非常に難しい。何せ、ササがのさばりたおして上陸地点を隠しているので。

 非常に神経を使いつつトレースしていったが、とうとうルートを見失ってしまった。地形等から行くべき方向は分かっているので、なるべく雪上を歩き、猛烈なササのジャングルとの格闘を最小限にするようにしながら山頂を目指し続け、しばらく行くうちに、またルートに復帰することができた。

 朝里岳とのコルにザックをデポし、山頂までピストンすることにした。樹林帯ではないので、熊に持って行かれることはないだろうと思って。

 コルから山頂までの道はきれいにササを刈って整備されていた。まさに刈りたてのほやほやだった。山頂ちょい手前でエンジンカッターを抱え、ササをなぎ倒している3人のおじさんに追いついたのだから。

 余市岳山頂からは羊蹄山(蝦夷富士)がきれいに眺められた。

 コルまで戻ると、ザックはちゃんとあったが、巻いてザックの上に縛りつけてあったウレタンマットに手のひら大の穴があいており、まわりにマットの細かい屑が散乱していた。いたずら鳥の仕業だろう。

 下山時も、登りにルートを失った地点まで、雪によるルート隠しに悩まされた。

 レージー・デポまで戻り、また超特急でザックを縛りつけ、虫どもを振り切って下りにかかる。バス停まで戻るともう薄暗くなりかけていた。ここでテントを張ることもチラと考えたが、自転車をとめ、数秒も考えないうちに不可能なプランだということが判明した。まだここは虫どもの勢力範囲だったのだ。それに、体中汗でベタベタ、手足はまっ黒に汚れ、靴は泥まみれというありさまなので、ともかく風呂に入りたかった。で、定山渓温泉目指してペダルを踏み出した。

 かなり夕闇が濃くなってきたころ、定山渓温泉に到着。とりあえずテントを張ろうと豊平峡ダム近くのキャンプ場に向かう。ところが、このキャンプ場は閉鎖されていた! このころには、もうすっかり暗くなっていた。これからキャンプ地を捜してうろうろする元気はもう残っていなかった。何せ、早朝からここに到着した20:00までほとんど動きっぱなしだったので。

 そこで、キャンプ場から少し戻った所に1軒ぽつんと建っている豊平峡温泉で宿泊もできるか尋ねてみたところ、本当は宿泊施設ではないのだけれど泊めてあげるといわれた。ラッキー! 

 宿に、余市岳で採って来た5、6本のウドを寄付したところ、1本を酢みそ和えにして1杯のワインを添えて出してくれた。どちらも美味であった。

 食事のあと、広々とした天然温泉の露天風呂で、月を眺め、涼やかな風に吹かれながら1日の疲れと汗と汚れを流し、くつろいだ。

6月14日(水)

 朝食後、また露天風呂でくつろぐ。朝の陽光をたっぷりと浴び、目に沁みるばかりのさわやかな緑に囲まれての入浴は、これまた、これだけでも来た値打があったと思わせるものであった。

 親切にしてくれた宿の人たちに別れを告げ、再びレージーと共に走り出す。登頂を予定していた無意根岳、定山渓天狗岳は今回パスすることとして、ルート230を札幌方面に少し走る。そして道を南へ取り、少々登ると札幌岳(1293m)の登山口である(12:00着)。ここも登山口からかなりの間林道となっており、またとことんレージーに付き合ってもらう。

 林道終点での身仕度は、またもや虫どもと格闘しながらだ。山道はほとんど急登の連続。宿で、近年このあたりも熊が増えていて、しかもこの時期凶暴になっているので気をつけるようにと脅かされていたので、なるべく騒々しく登るように心掛けた。途中、ネマガリタケのタケノコを摘み、噛りながら歩く。生でも結構いける。

 山頂からはまた羊蹄山が際立った威容を見せていた。頂上付近にはまだ山桜が、蕾さえ持って咲き匂っていた。この山には雪は見られなかった。時間と気分の都合で空沼岳はパス。

 登山道をまた騒々しく下り、林道を走り下り、登山口に16:00帰着。それから支笏湖目指して発進した。

 ルート230に戻り、さらに札幌方面へと進み、真駒内あたりから南下を始める。南下ということばとは裏腹に、道はほとんど登りばかりとなる。かなりへたばってきている足には少しの登りもこたえる。歩け歩けが多くなり、ペースは極度に落っこちる。時間ばかりがどんどん進み、この日の幕場にと考えていた支笏湖畔のポロピナイキャンプ場は、薄暗くなってきてもまだ射程距離に入ってこなかった。おまけに、このころから空には徐々に雲が広がり始めてきた。

 そういう状況でマルマナイ川にかかる山水橋上から、よいテントサイトとなる平地を発見した時には、もう先へと進む気力は失せはててしまった。道路からなるべく離れ、テントをおっ立てる。近くに人間はおらず、虫も少なく、水もたっぷり手に入る、静かでよい幕場だった。気になるのは「熊に注意」の看板だけだった。

 ラーメン、この日コンビニで仕入れたパンとおにぎり等で夕食を摂った後、ペパーミントティーを楽しみ、早々に就寝。風のたてる物音に、クマ公かな…、と思ってちょっとドキドキしたりしたが、疲れていたのでよく眠れた。

6月15日(木)

 6:00ごろ、テントを叩く雨音で目を覚ます。北海道には梅雨がないが、だから雨が降らないというわけではない。雨は断続的に、一時かなり激しくテントを叩きつけた。とりあえずシュラフの中にいることにした。

 しばらくすると、降りは安定したキリションとなった。しばし迷った後、出発を決意。荷をまとめ、テントをたたむ。雨中の撤収はいつだってあまり快適なものではない。

 10:00ごろ出発。まずは押し歩きの続き。やがて峠を越えるとレージー号威力発揮のダウンヒル。そして支笏湖に到着。このころには雨はほぼあがったが、雲はなお低く垂れこめ、恵庭岳を始め湖畔の山々は雲の裳をからげ、下半身のみをあらわにしている。支笏湖も灰色の平板的無表情の中にある。

 主要目的山のひとつの恵庭岳も、展望のすばらしさが売り物なのに、無視界登山ではちっともおもしろくなさそう。それに湖の一帯はいかにも観光地然としていて、ポロピナイキャンプ場もオートキャンプ場みたいで、ここで泊まろうという気になれない。…と消極的な考えになってしまうのは疲れのせいもあるのだろうが、今回もう充分多くのものを享受して、これ以上は消化不良になりそう、という気分もあったのだ。人は満ち足りるためには世間一般に思われているほど多くのものを必要としていないのだ。

 結論として、この日の船でとっとと帰ることにした。で、とりあえずは千歳に向け、湖畔をのんびりと走って行った。

 支笏湖に別れを告げるとほどなく、またもや気分をウキウキさせるものが待っていた。千歳市街まで延々20Km以上続く原生林である。その中を道はほぼまっすぐに伸び、しかもずっと緩やかな下りなのだ! おまけに自転車専用道が、ほとんどの区間車道から少し離れた所に設置されている。雲が切れ、薄日に輝く原生林の中を軽やかに走るのは爽快の極みだった。

 まだこれが最後ではなかった。今回、北海道で出会った最も魅力的な光景のひとつが間もなく目の前に現れた。千歳川だ。さほど大きな川ではない。その川幅は、最も広い所でも小学生が楽に対岸に小石を投げることができるほどでしかない。だが、その水の清冽さはどうだ! 滔々と流れる水量の豊かさはどうだ! 踊り流れる水面の楽しげで変化に富んだ表情と生命感はどうだ! そして、原生林の岸辺の美しさはどうだ! ウンディーネが日本に移住するならば、おそらくこの川を住み処に選ぶだろうと思われた。

 千歳までの最後の数キロ、自転車道は千歳川に沿い、たっぷりとぼくの心を洗い清めてくれた。

 だが、いよいよ市街地に入ると、自然の川岸は消え、コンクリート護岸となる。すると突然、川は表情を失う。水面は語りかけることをやめ、流れにはもはや生命感は微塵も感じられない。ここで川は死んだのだ。市街地を無表情にただ流れゆくこの川も、人間が殺した数多のもののひとつなのだ。

 千歳駅で自転車をたたみ、JR(15:40発「快速エアポート」)に乗り込む。南小樽で下車。またレージーちゃんでフェリー乗り場へ。22:00発の新潟経由敦賀行き「ニューゆうかり」2等船室をキープ。そして、フェリーターミナルビル5階の小樽温泉へ。小樽湾の展望を楽しみつつ、湯につかったりサウナに入ったり。

 たっぷり腹がへり、喉も渇いたところで、レージーで寿司屋街へと繰り出した。そして生ビール2杯と寿司をしこたま詰め込む。

 程よい時間にフェリー乗り場に帰着。まもなく乗船。往路と同タイプの船。往復でこの航路の2大ポンコツ船を制覇だ。次は「らべんだあ」に乗るぞ!

 また窓際をキープ。この日は船の風呂はパスして早々に夢の中へ。

6月16日(金)

 船中でのんびりとすごし、疲れを癒す。

 16日の夕暮に新潟に着岸。暗くなったころに出港。新潟と佐渡ケ島の灯、そして多くの漁火を楽しむ。帰りはずっと曇天。時折雨。梅雨のある国に戻ってきた。

6月17日(土)

 8:30敦賀着。自転車で敦賀駅に向かう。曇っているが、雨は降りそうもない。で、駅に着くまでに気が変わった。琵琶湖まで走ろう! 時間はまだたっぷりある。船でゆっくり休養して、元気も充分だ。

 まもなく青空が見えだし、いい天気になってきた。お天気坊やの面目躍如というところ。しかし暑い。えっちらおっちら登ってゆく。北海道はほとんどの幹線に自転車用レーンが完備されていて、安全かつ快適に走ることができたが、こちらはその点不備である。自動車に神経を使う。が、木々は北海道に負けないくらいクリアーな大気と陽光の中で輝いている。

 峠を越え、快適なダウンヒルの途中に、青く澄んだ琵琶湖が見えてきた。国道を離れ、なるべく岸辺に近い道をのんびり走る。今年は去年とうって変わって水量豊富なので、その分水質もいいようだ。水辺で昼食を摂り、なおも湖畔を快走する。今回はとことんウキウキ気分に恵まれた。

 やがて国道を走らざるをえなくなり、自動車の多さに閉口するようになったので、JR「北小松」駅で自転車をたたみ、JRに乗り込んで今回の旅を締めくくった。

2008年4月9日水曜日

山行記録: 北八ヶ岳・蓼科山



 かなり以前の記録ですが、紹介します。

  
  北八ヶ岳・蓼科山


1995年8月7日(月)

 8:57大阪発特急「しなの15号」に乗車。自由席禁煙車。割とすいていてゆったりと座れる。ずっとデッキでつっ立っている事態も覚悟していたのだが。

 本来の予定では、この時には北海道に向かう船上にいるはずだった。そして大雪、十勝山系を縦走する予定だった。だが、満席で船の予約が取れなかったので、急遽、八ケ岳方面に行先を変更したのだった。そして茅野までの高速バスに乗るつもりをしたが、これも満席で予約が取れなかった。で、結局JRということになったのだが、ゆったりアプローチでラッキーだった。煙にも煩わされなくてすんだ。

 しかし、難をひとついえば、京都から乗り込んで来たギャルの一群がぼくのすぐ近くに陣取ったのだが、これがのべつ幕なしにしゃべりまくって、にぎやかしいことこの上なし。賢明にも耳栓を持ってきていて助かった。

 名古屋から結構乗り込んできて通勤電車の様相となったが、木曽福島でまたゆったり車内に戻った。車内が混雑しようがギャルのにぎやかなおしゃべりは遠慮なく続いた。
 
 塩尻でギャルのさえずりに別れを告げ、耳栓もザックに納め、普通列車に乗り換える。ほどなく茅野着。バスに乗り換え、美濃戸口へ。ここまでずっと座って来れた。

 14:40いよいよ歩き始める。標高1500mともなると下界ほどの暑さはないが、歩いているとやはりかなりの汗をかく。天気はまずまず。

 16:50赤岳鉱泉着。まずはテントを張る。夕食前にひと風呂と思って小屋に行くと、テントの人は18:00からの入浴になります、といわれた。で、先に夕食とした。メニューは、レトルト赤飯、レトルト牛丼の具、ラーメン、乾燥ネギ、ソーセージ、ノリ、チーズ。

 夕食をすますと、程よい時間となったので、入浴道具を持って出かける。入浴料は500円。湯舟は木製で、ほのかに木の香りがするが、 5~6人つかるのが精一杯という大きさ。完全な冷泉で、ビールが冷やせるほど冷たい湧水をボイラーで暖めている。

 山での入浴は心地よい。フロ上りに誘惑に勝てずに缶ビール(350ml)を2本仕入れ、テントでたしなむ。1本500円は高いと感じる人もいるだろう。だが多くの人が、街なかの飲み屋で、これと同じかもっと高いビールを、何の疑問もためらいもなく、日々たしなんでいらっしゃるのだ。しかも、山のさわやかな空気の中でのようには心地よく飲めまいに…。

 夕方から雲が出て、星を眺めることができなかった。ハーブティー (クマツヅラ)を飲んで21:00すぎに就寝。

8月8日(火)

 5:50起床。よく眠れた。朝食は、ライ麦パン、チーズ、紅茶。よい天気だ。
 
 幕場を7:39発。硫黄岳に8:45着。ここより南はかつて冬に歩いているので、今回は北を目指すわけだ。天気はよい。稜線に出ると心地よい風が吹き抜け、汗ばんだ肌をさわやかに吹き清めてくれる。

 東天狗岳に10:30。ザックを置き、西天狗岳までピストン。丸山12:51、麦草峠に13:24。峠近くの白駒池のほとりにキャンプ場があり、そこをこの日の宿に定めるのが順当なところである。次のキャンプ地はコースタイムで6時間行程の双子池までないのだから。…だが、ここでまた悪い病気が出た。「ええい、行っちゃえ!」病だ。十分明るいうちに着くことができるだろう。天気も大丈夫そうだ。

 そうと決まれば、ひたすら歩かねばならない。のんびりしていては日が暮れてしまう。茶臼山に14:05、雨池山14:56、縞枯山15:30、三ツ岳16:30、横岳16:18、丸山16:53、そして双子池のキャンプ場に17:50着。

 行っちゃえ病に負けるべきではなかった。時間に追われてのせかせか歩きは感動をもたらさない。せっかくの山旅なんだから、のんびりと行けばよかった。そして、よく眺め、よく聞き、よく感じ、よく考え、よく楽しむべきだった。時間に追われ、ひたすら終着点を目指すだけという生活は下界だけで十分なはずだ。

 双子池ヒュッテは9月からの営業ということで無人だった。キャンプ地は雌池のほとりにある。雄池が水場となっている。十分直接飲用となるきれいな水だった。

 夕食は、オートミール、レトルトカレー、ソーセージ、チーズ、ミソ汁、乾燥ネギ、レーズン。

 ハーブティーを飲み、テントごしの柔らかい月光に抱かれて就寝。

8月9日(水)

 まだ暗いうちに、鳥たちの歌声で目を覚ます。だが、同じ鳥の歌によって再びまどろみに誘われた。

 6:30起床。朝食は、ライ麦パン、チーズ、レーズン、ミソ汁、乾燥ネギ。

 8:17出発。天気は上々。体調もよい。風の歌と赤トンボの乱舞が足と心を軽やかにしてくれる。双子山8:42着。

 双子山のピークはなだらかで広々とした草原になっている。可憐な花をちりばめた草の絨緞が、朝の澄んだ陽光を浴び、さわやかな風に波打っている夢のような光景を恍惚として眺めていたひとときは、山行に伴なうあらゆる苦労を償って余りあるものであるばかりか、ぼくの人生における貴重な宝石のひとつというべきものであった。このひとときを持てただけでも、ぼくの人生は全く無駄なものではなくなったのだ。

  ただひとり静かな野原の上で
  この平和な満足を胸いっぱいに吸い込むがよい
  お前がお前自身をはっきりと感じたなら
  お前の時は終わってもよいのだ
  白鳥の泳いだ跡が消え行くように (G.ケラー)

 自然の美がもたらしてくれる深い感動以上に我々の生の価値を高めてくれるものをぼくは知らない。人生において本当に貴いのは、誰もが見出すことができ、誰もが我が物とすることのできる美を享受することであって、単に希少なもの、得難いものを独占することではない。

 それにしても、清澄な陽光のもとで、自然はいかに生き生きと輝いていることか! 何と豊かな表情を見せることか! だが、雲が太陽と大地の間に立ちはだかった時には、地上のすべてはいかにも悲しげな無表情の中に沈む。すべては灰色の憂愁の中に溶けこみ、どんな形態も、いかなる動きも魅力をそがれてしまう。陽光は、地球上のすべての生命の源であるばかりでなく、すべての美の源でもあるのだ。

 双子山から大河原峠へ下り、前掛山へと登る。そして蓼科山荘から最後の急坂を登り切ると、日本百名山のひとつである蓼科山だ(10:26着)。一面に大小の岩を敷きつめた野球場のようなピーク。360度よい眺めだ。

 あとはひたすら下るのみだ。山行の最後の下りは、いつだって長くけだるいものだ。疲れ、下山を急ぐ気持、山に別れを惜しむ気持などが入り交じり、一種のメランコリーに陥ってしまう。しかし、本物のメランコリーは都会で待っている。

 蓼科山登山口11:58。そこからアスファルトを歩いてラピタスロープウエー入口に12:45。バス停にザックをおろして程なくタクシーの運転手に声をかけられた。茅野まで帰りだからバス料金で行きますが…、とのことだったので、ためらいなく乗った。バスより早くて楽に茅野まで行けた(13:25着)。

 茅野のバスセンターで尋ねたら、14:00発の大阪行きのバスに空きがあるというのでそれをキープ。昼食がまだだったので何かうまいものをと思ったが、時間がほとんどなく、駅の立ち食いソバが精一杯だった。

 バスは10名くらいしか乗客がいなかった。車窓から、諏訪湖、中央アルプスの山々などを眺めることができた。

 大津の手前あたりから渋滞に巻き込まれ、大阪に到着したのは予定より1時間以上遅れの21:00だった。バスを降りたとたんに、都会の夏がたちまちぼくを包囲し、征服し、数時間前までぼくを満たしていた高揚した気分をはるかな過去の記憶にすぎなくしてしまった。

2008年4月7日月曜日

山の食料ナンバーワン(ホタテの紐)

数年前に書いた文章ですが
公開するのは初めてです。


 冬が来ると山が恋しくなる。恋しい者にはひとりで会いに行く。ひとりになるにはテントがいちばん。で、テント生活での最大の楽しみというと、もちろん食べることである。

 しかし、テント泊での登山では、ザックひとつに数日間の生活に必要なすべての装備を詰め込まなければならない。そして、それらは極力軽量であることが要求される。

 故に、持参する食料には、まず第一に軽いこと、次に栄養価が高いこと、それから美味であること、さらに調理が簡単であること、なお欲を言い得れば安価であること、等の厳しい諸条件をクリアーすることが求められる。

 かつては、登山用具の専門店で、宇宙食の如き栄養食を仕入れたりしていたものだが、それは、他の条件を満たすため、味と価格の2点をとことん犠牲にせざるを得ない代物だった。昨今は、普通のスーパーで、ほぼすべての条件を満たすものが多く見出せるようになり、ありがたい限りだが、逆に言うと、普段の生活でも冬山でのテント並みの食事をする人が増えたということになり、ちょっと考えてしまう部分もある。

 ともあれ、話を戻すが、ぼくが山に持参する食品の中で、もう10年以上、文句なくトップの座に君臨し続けているお気に入りの一品が「ホタテの紐の干物」である。

 これは、先程の条件すべてを完全に満たすばかりでなく、さらなる美点を有している。そのひとつは、雪を浮かべたバーボンとすこぶる相性がいいという点。もうひとつは、キャンドルの炎で炙ると、一層美味になるばかりでなく、クネクネとユーモラスなダンスを披露し、夜の無聊をこの上なく無害に慰めてくれるという点である。

 夜ふけてひとり、テントの中に寝そべり、バーボンで思考にソフトフォーカスをかけ、風の唄を伴奏にしたホタテのダンスと、その深い味わいを楽しむ。これ以上に豊かな時間はそれほど多くない。

2008年4月5日土曜日

パパへのクイズ

 大分前の話ですが、その時7歳の息子にクイズを出されました。
 

 「あのね、この世で一番速い物は何だと思う?」
 

 「わかった! 光だ」
 

 と、ぼくは得意げに答えました。
 

 「いや」
 

 と、息子は言いました。
 

 「ぼくは、心だと思う」
 

 完全に脱帽したパパでした。
  

2008年4月4日金曜日

武庫川のヌートリア







 
 ちょうど1年ほど前に撮影しました。ヌートリア君です。
 
 ヌートリアは(wikipediaによると)南アメリカ原産の大型の齧歯類で、頭胴長60cm、体重9kgになるということです。毛皮を取るために移入したものが帰化したそうです。
 
 この写真の撮影地は、兵庫県の武庫川の水辺です。
 
 このヌートリア君は、体長40cmほど(頭胴長)でした。河川敷を行き交う多くの人をまったく気にも留めない様子で、悠々と泳いだり、川原でくつろいだりしていました。
 
 また様子を見に行ってみたいと思います。
 
 再会できたら、報告します。
 
 

 

2008年4月3日木曜日

ユキヤナギ




 今日撮った写真です。
 

 そろそろ桜が見ごろを迎えようとしていますが、ユキヤナギ(雪柳)もまた、可憐な花を咲かせています。
 

 名残雪の時期も過ぎ、春本番を迎えようとしている今、その名の如く、雪化粧をしたような情景を見せてくれています。
 

 もちろん、桜の花もたいへんきれいでいいものなのですが、ぼくは、去り行く季節の美に敬意を表しているかのようなユキヤナギの奥ゆかしさの方に、より深い感動を覚えます。