2008年4月12日土曜日

山行記録: 飯豊(いいで)山 縦走

 …ということで、古い記録でございます。

        
飯豊山縦走


1995年10月7日(土)

 ほぼ1カ月前、北海道の大雪山、十勝岳方面を縦走してきたが、ちょうど紅葉プラス雪化粧という、すばらしい取り合わせを楽しむことができた。で、夢よもう1度というわけで、紅葉前線を追いかけて、今回、東北の山に登ることにした。
 
 21:30大阪発の、新潟行き夜行高速バスに乗車。

 バスは3列シートでゆったりと座れ、リクライニングもかなり深いので、夜行列車よりかなり楽だ。夜行列車だと、たとえ1ボックス(4人分の席)をひとりで確保できたとしてもゆったりと眠れる体制をとることができず、寝不足と体の節々の痛みと共に山行を始めなければならない。ましてや混雑していれば悲惨極まりない状況となる。もっとも快適にアプローチできる乗り物は何といっても船だろうが、どこにでも船で行くわけにもいかない。

10月8日(日)

 7:00ちょい前に新潟駅前着。まずまず眠れた。1時間あまり、駅前の食堂で朝食をとったり散策したりして時間をつぶし、8:24発のJR快速「あがの2号」に乗車。10:06、山都で下車。

 登山口までのバスは、夏場の1カ月しか運行されていない。で、タクシーに乗るしかない。18Kmの料金は結構な額になるだろうが、大阪で終電がなくなるまで飲んでいてタクシーで帰宅することを思えばはるかに安い。とはいうものの、できれば誰かと相乗りできれば…と一緒に下車した連中を見渡すと、ザックを担いだ3人組が目についた。声をかけ、話を聞くと、彼らは弥平四郎登山口までタクシーで行くという。それも、登山口から徒歩1時間10分行程手前で一般車進入禁止になっているのを、タクシーを乗り入れる許可を取ってあるという。ぼくは川入(飯豊鉱泉)から入山するつもりだったが、どちらでも大差はないので、彼らと同乗させてもらうことにした。距離は長いが、ひとりよりはかなり安い。

 3人はいずれも20代と見える。男ひとりに女ふたり。聞けば、大阪のある山岳会のメンバーとのこと。ついでながら、タクシーの運転手さんも登山家ということで、すでに日本100名山を制覇し、目下200名山にかかっているという結構なつわものだった。山ヤのよしみか、自動販売機の前で車を止め、全員にジュースなどをサービスしてくれた。かなり車の底をこすりながら林道を登り、登山口着。メーターはちょうど1万円。

 11:50、登高開始。曇りで涼しい。15分ほどで祓川山荘着。無人。ここで昼食とする。再び歩き始め、高度を上げてゆく。汗ばんできて、半ズボン姿に変身する。

 松平峠あたりからガスがかかってきて、風もやや強まり、寒くなってきた。おまけに雨がポツポツ降り出した。この日は以後ずっとガスとシトシト雨。

 15:00頃、三国小屋着。2階建のしっかりしたきれいな小屋だ。30~40人宿泊可能。この時期は無料開放されている。この日の同宿者は20人ほど。2階の片隅に陣取る。やはりテントより快適だ。特に雨の日は助かる。水場はやや遠いらしいので、必要な量は担いで来たことだし水汲みは省略することにした。

 16:30くらいに大阪の3人組が到着。すぐに男性が水汲みに出かけた。が、1時間以上たっても帰ってこない。この辺りに詳しい人に聞いてみると、水場はかなり険しい岩稜を下ったところにあって、しかも分かりにくい、ということなので、女の子ふたりが非常に心配し始めた。外は相変わらずの雨とガス。しかももう真っ暗になっているので、確かにかなり心配してもいい状況だった。

 女の子が捜索に行くというので、ぼくも一緒に行くことにした。そして出発準備を始めたところで、行方不明者が自力で帰って来た。お土産はからっぽのままのポリタン。滑ったり転んだり迷ったりしたあげく、水場を発見できなかったとのこと。ともあれまた雨の中に出て行かなくですんだ。3人組は余裕のあるパーティーに水を分けてもらっていた。
 
 20:00には寝る体制に入った。他のパーティーもほとんど静かに横になっている。だが、1階を占拠している学生パーティーがいつまでも宴会をやめようとしない。20:30に「いい加減に寝ようぜ」とチェックを入れる。それでやっと静かになった。年々非常識な登山者が増えてくるようだ。

10月9日(月)

 4:00頃起床。5:30出発。晴だが東にやや雲が多く、日の出は見られなかった。三国岳から種蒔山にかけての稜線付近はよく紅葉しているが、陽が差していないので沈んだ色調の中にある。想像力の欠如した人間ならがっかりするかもしれない。切合小屋近くの水場で水を補給し歯を磨く。じっとしていると寒い。

 飯豊山神社から飯豊本山へ。このあたりは新雪がついている。前日の雨で大分溶けたようだが。

 御西小屋にザックをデポし、大日岳(飯豊山系の最高峰)まで往復。御西小屋からしばらくはなだらかな稜線で、陽光も豊かに降り注ぎ、ゆったりした散策気分を楽しむ。しかし、烏帽子岳への登りにかかった頃からにわかに厚い雲が湧いてきて、登るにつれガスと風が出始めた。

 梅花皮小屋に到着したのは14:00くらいで、十分次の門内小屋まで行ける時間だったが、ガスの中を歩いてもおもしろくないし、雨が降り出しそうでもあったので、この日はここまでということにした。ここも2階造りのきれいな小屋で、管理人はいない。

 2階に陣取り、まず水汲みをすませる。そしてあったかい紅茶を作ってのんびりくつろいでいるうちに、雨が降り出した。しかも強風を伴なった土砂降りだ。早めに小屋に入って正解だった。

 雨は夜まで降り続いた。夕方にかけて、途中で追い越した人、前日同じ小屋で一緒だった人などが続々と到着したが、ほとんど下着までずぶ濡れ状態だった。ぼくのすぐ近くに陣取った若い女の子のパーティーなど、寒さのあまり恥じらう余裕もなく、大急ぎでTシャツまで着替え始めた。ぼくは、もちろん紳士らしく目をそらしたが、そらし終えるまでに着替えが終わってしまった。

 最初はひとりで2階を占領していたのだが、結局、ほぼ満員状態となった。前日もここに泊まった人の言うには、昨日はこんな生易しいものではなく、ひとり50センチくらいのスペースしかない超満員だったとのこと。

10月10日(火)

 ゆっくり5:00まで寝る。

 6:23出発。雨は夜のうちにあがり、さわやかな青空がいっぱいに広がっている。眼下には雲海が純白のうねりを見せている。北股岳への登りの途中で、梅花皮岳に遮られていた太陽が顔を見せた。

 すばらしい朝だ。もっとも、朝は大概すばらしい。早朝のひとときには人生が凝縮されている。いつも太陽が高く昇るまで惰眠をむさぼっている人間は、人生を半分も生きはしないのだ。

 地神山から杁差岳を眺めてしばし迷う。予定通り丸森尾根から下山するか、杁差まで行くか。時間も日程も十分余裕があるのだが、予定通り下山することにした。どこかのおっさんが勝手に決めた「日本200名山」というタイトルにひかれてわざわざ遠回りする必要もないし。それより飯豊温泉の方がずっと魅力的である。

 丸森尾根を紅葉を楽しみつつ下る。まだ紅葉の全盛期ではないが、全山まっ赤でないと気がすまないのは心貧しき者だけである。所々で美しく染まっている木々は十分にぼくを楽しませてくれた。

 11:10、天狗平着。無事山行終了。

 この日は長者原のキャンプ場に泊まり、明日の夜、新潟から敦賀までの船に乗る予定なので、長者原まで1時間行程のアスファルト道を歩き始めた。と、間なしに、ショベルカーを積んだ軽トラックのおじさんが、手も上げないのに止まって乗せてくれた。おかげで楽に長者原まで行けた。

 まずは長者原の国民宿舎で温泉につかる。極楽気分。風呂上がりに缶ビールを1本仕入れ、近くの芝生で残りの食料をアテにたしなむ。通りすがりの女性がおにぎりとヤクルトをくれた。

 さて、温泉につかり、暖かい陽差の中でビールを飲んでいい気分になってしまうと、これからテントを張るのがおっくうになってきた。今日の高速バスかJRで帰っちまおう! と決断したのが13:30くらい。バスは16:10までない。JR玉川駅まで約15km。歩こう!

 そして10分も歩かないうちに、また車が止まってくれた。山男のふたり連れ。新潟駅まで行くというので、甘えてずっと乗せてもらった。非常に助かりました。

 16:30、新潟着。駅近くを物色し、良さそうな小料理屋の暖簾をくぐる。結構安くて新鮮でうまい料理と生ビール、そして何種類かの地酒を楽しみ、店員さんや常連のお客とおしゃべりしながらくつろいだ。料理と酒に堪能したので、ではお勘定を、と言うと、夜行で帰られるんならまだ時間があるでしょうから、ゆっくりしていって下さい、と、新聞とお茶を勧めてくれた。この近くに住みたくなった。

 高速バスは満席だったので、22:14発のJR急行「きたぐに」に乗車。比較的空いていて良かったが、やはり首や腰などが痛くなってしまった。


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