かなり以前の記録ですが、紹介します。
北八ヶ岳・蓼科山
1995年8月7日(月)
8:57大阪発特急「しなの15号」に乗車。自由席禁煙車。割とすいていてゆったりと座れる。ずっとデッキでつっ立っている事態も覚悟していたのだが。
本来の予定では、この時には北海道に向かう船上にいるはずだった。そして大雪、十勝山系を縦走する予定だった。だが、満席で船の予約が取れなかったので、急遽、八ケ岳方面に行先を変更したのだった。そして茅野までの高速バスに乗るつもりをしたが、これも満席で予約が取れなかった。で、結局JRということになったのだが、ゆったりアプローチでラッキーだった。煙にも煩わされなくてすんだ。
しかし、難をひとついえば、京都から乗り込んで来たギャルの一群がぼくのすぐ近くに陣取ったのだが、これがのべつ幕なしにしゃべりまくって、にぎやかしいことこの上なし。賢明にも耳栓を持ってきていて助かった。
名古屋から結構乗り込んできて通勤電車の様相となったが、木曽福島でまたゆったり車内に戻った。車内が混雑しようがギャルのにぎやかなおしゃべりは遠慮なく続いた。
8:57大阪発特急「しなの15号」に乗車。自由席禁煙車。割とすいていてゆったりと座れる。ずっとデッキでつっ立っている事態も覚悟していたのだが。
本来の予定では、この時には北海道に向かう船上にいるはずだった。そして大雪、十勝山系を縦走する予定だった。だが、満席で船の予約が取れなかったので、急遽、八ケ岳方面に行先を変更したのだった。そして茅野までの高速バスに乗るつもりをしたが、これも満席で予約が取れなかった。で、結局JRということになったのだが、ゆったりアプローチでラッキーだった。煙にも煩わされなくてすんだ。
しかし、難をひとついえば、京都から乗り込んで来たギャルの一群がぼくのすぐ近くに陣取ったのだが、これがのべつ幕なしにしゃべりまくって、にぎやかしいことこの上なし。賢明にも耳栓を持ってきていて助かった。
名古屋から結構乗り込んできて通勤電車の様相となったが、木曽福島でまたゆったり車内に戻った。車内が混雑しようがギャルのにぎやかなおしゃべりは遠慮なく続いた。
塩尻でギャルのさえずりに別れを告げ、耳栓もザックに納め、普通列車に乗り換える。ほどなく茅野着。バスに乗り換え、美濃戸口へ。ここまでずっと座って来れた。
14:40いよいよ歩き始める。標高1500mともなると下界ほどの暑さはないが、歩いているとやはりかなりの汗をかく。天気はまずまず。
16:50赤岳鉱泉着。まずはテントを張る。夕食前にひと風呂と思って小屋に行くと、テントの人は18:00からの入浴になります、といわれた。で、先に夕食とした。メニューは、レトルト赤飯、レトルト牛丼の具、ラーメン、乾燥ネギ、ソーセージ、ノリ、チーズ。
夕食をすますと、程よい時間となったので、入浴道具を持って出かける。入浴料は500円。湯舟は木製で、ほのかに木の香りがするが、 5~6人つかるのが精一杯という大きさ。完全な冷泉で、ビールが冷やせるほど冷たい湧水をボイラーで暖めている。
山での入浴は心地よい。フロ上りに誘惑に勝てずに缶ビール(350ml)を2本仕入れ、テントでたしなむ。1本500円は高いと感じる人もいるだろう。だが多くの人が、街なかの飲み屋で、これと同じかもっと高いビールを、何の疑問もためらいもなく、日々たしなんでいらっしゃるのだ。しかも、山のさわやかな空気の中でのようには心地よく飲めまいに…。
夕方から雲が出て、星を眺めることができなかった。ハーブティー (クマツヅラ)を飲んで21:00すぎに就寝。
8月8日(火)
5:50起床。よく眠れた。朝食は、ライ麦パン、チーズ、紅茶。よい天気だ。
14:40いよいよ歩き始める。標高1500mともなると下界ほどの暑さはないが、歩いているとやはりかなりの汗をかく。天気はまずまず。
16:50赤岳鉱泉着。まずはテントを張る。夕食前にひと風呂と思って小屋に行くと、テントの人は18:00からの入浴になります、といわれた。で、先に夕食とした。メニューは、レトルト赤飯、レトルト牛丼の具、ラーメン、乾燥ネギ、ソーセージ、ノリ、チーズ。
夕食をすますと、程よい時間となったので、入浴道具を持って出かける。入浴料は500円。湯舟は木製で、ほのかに木の香りがするが、 5~6人つかるのが精一杯という大きさ。完全な冷泉で、ビールが冷やせるほど冷たい湧水をボイラーで暖めている。
山での入浴は心地よい。フロ上りに誘惑に勝てずに缶ビール(350ml)を2本仕入れ、テントでたしなむ。1本500円は高いと感じる人もいるだろう。だが多くの人が、街なかの飲み屋で、これと同じかもっと高いビールを、何の疑問もためらいもなく、日々たしなんでいらっしゃるのだ。しかも、山のさわやかな空気の中でのようには心地よく飲めまいに…。
夕方から雲が出て、星を眺めることができなかった。ハーブティー (クマツヅラ)を飲んで21:00すぎに就寝。
8月8日(火)
5:50起床。よく眠れた。朝食は、ライ麦パン、チーズ、紅茶。よい天気だ。
幕場を7:39発。硫黄岳に8:45着。ここより南はかつて冬に歩いているので、今回は北を目指すわけだ。天気はよい。稜線に出ると心地よい風が吹き抜け、汗ばんだ肌をさわやかに吹き清めてくれる。
東天狗岳に10:30。ザックを置き、西天狗岳までピストン。丸山12:51、麦草峠に13:24。峠近くの白駒池のほとりにキャンプ場があり、そこをこの日の宿に定めるのが順当なところである。次のキャンプ地はコースタイムで6時間行程の双子池までないのだから。…だが、ここでまた悪い病気が出た。「ええい、行っちゃえ!」病だ。十分明るいうちに着くことができるだろう。天気も大丈夫そうだ。
そうと決まれば、ひたすら歩かねばならない。のんびりしていては日が暮れてしまう。茶臼山に14:05、雨池山14:56、縞枯山15:30、三ツ岳16:30、横岳16:18、丸山16:53、そして双子池のキャンプ場に17:50着。
行っちゃえ病に負けるべきではなかった。時間に追われてのせかせか歩きは感動をもたらさない。せっかくの山旅なんだから、のんびりと行けばよかった。そして、よく眺め、よく聞き、よく感じ、よく考え、よく楽しむべきだった。時間に追われ、ひたすら終着点を目指すだけという生活は下界だけで十分なはずだ。
双子池ヒュッテは9月からの営業ということで無人だった。キャンプ地は雌池のほとりにある。雄池が水場となっている。十分直接飲用となるきれいな水だった。
夕食は、オートミール、レトルトカレー、ソーセージ、チーズ、ミソ汁、乾燥ネギ、レーズン。
ハーブティーを飲み、テントごしの柔らかい月光に抱かれて就寝。
8月9日(水)
まだ暗いうちに、鳥たちの歌声で目を覚ます。だが、同じ鳥の歌によって再びまどろみに誘われた。
6:30起床。朝食は、ライ麦パン、チーズ、レーズン、ミソ汁、乾燥ネギ。
8:17出発。天気は上々。体調もよい。風の歌と赤トンボの乱舞が足と心を軽やかにしてくれる。双子山8:42着。
双子山のピークはなだらかで広々とした草原になっている。可憐な花をちりばめた草の絨緞が、朝の澄んだ陽光を浴び、さわやかな風に波打っている夢のような光景を恍惚として眺めていたひとときは、山行に伴なうあらゆる苦労を償って余りあるものであるばかりか、ぼくの人生における貴重な宝石のひとつというべきものであった。このひとときを持てただけでも、ぼくの人生は全く無駄なものではなくなったのだ。
ただひとり静かな野原の上で
この平和な満足を胸いっぱいに吸い込むがよい
お前がお前自身をはっきりと感じたなら
お前の時は終わってもよいのだ
白鳥の泳いだ跡が消え行くように (G.ケラー)
自然の美がもたらしてくれる深い感動以上に我々の生の価値を高めてくれるものをぼくは知らない。人生において本当に貴いのは、誰もが見出すことができ、誰もが我が物とすることのできる美を享受することであって、単に希少なもの、得難いものを独占することではない。
それにしても、清澄な陽光のもとで、自然はいかに生き生きと輝いていることか! 何と豊かな表情を見せることか! だが、雲が太陽と大地の間に立ちはだかった時には、地上のすべてはいかにも悲しげな無表情の中に沈む。すべては灰色の憂愁の中に溶けこみ、どんな形態も、いかなる動きも魅力をそがれてしまう。陽光は、地球上のすべての生命の源であるばかりでなく、すべての美の源でもあるのだ。
双子山から大河原峠へ下り、前掛山へと登る。そして蓼科山荘から最後の急坂を登り切ると、日本百名山のひとつである蓼科山だ(10:26着)。一面に大小の岩を敷きつめた野球場のようなピーク。360度よい眺めだ。
あとはひたすら下るのみだ。山行の最後の下りは、いつだって長くけだるいものだ。疲れ、下山を急ぐ気持、山に別れを惜しむ気持などが入り交じり、一種のメランコリーに陥ってしまう。しかし、本物のメランコリーは都会で待っている。
蓼科山登山口11:58。そこからアスファルトを歩いてラピタスロープウエー入口に12:45。バス停にザックをおろして程なくタクシーの運転手に声をかけられた。茅野まで帰りだからバス料金で行きますが…、とのことだったので、ためらいなく乗った。バスより早くて楽に茅野まで行けた(13:25着)。
茅野のバスセンターで尋ねたら、14:00発の大阪行きのバスに空きがあるというのでそれをキープ。昼食がまだだったので何かうまいものをと思ったが、時間がほとんどなく、駅の立ち食いソバが精一杯だった。
バスは10名くらいしか乗客がいなかった。車窓から、諏訪湖、中央アルプスの山々などを眺めることができた。
大津の手前あたりから渋滞に巻き込まれ、大阪に到着したのは予定より1時間以上遅れの21:00だった。バスを降りたとたんに、都会の夏がたちまちぼくを包囲し、征服し、数時間前までぼくを満たしていた高揚した気分をはるかな過去の記憶にすぎなくしてしまった。
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