2008年4月11日金曜日

山行記録: 北海道 大雪山~十勝岳 縦走

 走れ! レージー」から、3ヵ月後の山行です。


北海道

大雪山~十勝岳 縦走




1995年9月10日(日)

 職場から直接、梅田のバスターミナルへ。舞鶴行きの高速バスに乗りこむ。東舞鶴駅の少し手前で下車。ここまでは3カ月前と同じパターンだ。だが、今回は愛車レージー・ギルタナー号(折りたたみ自転車)は一緒でない。で、のんびりと歩いて新日本海フェリーの乗り場へ向かう。雨が降ったらしく道が濡れているが、もう雲の切れ目から月が時折顔をのぞかせている。昨日は中秋の名月だった。6月にも、同じ航路で満月に近い月を眺めたっけ。

 乗船手続後、近くの食堂でラーメンを食い、港を散策。そして乗船。「ニューすずらん」。おなじみの、この航路きってのポンコツ船。だが何回も乗っているうちにだんだんと愛着がわいてくる。乗客は6月よりかなり多い。が、2等船室でも結構ゆったりと寝られる状態なので安心する。バイクの若者が多い。23:00出港。

 風呂に入り、さっぱりしたところでビール(350ml)を1本仕入れる。そしてもう1本追加。いい気分となる。やはり旅はいいものだ。出かけるまではおっくうでも、来てみれば心は浮き浮きしてくる。街中でいくら飲んだって、こんなに浮き浮きすることはまずない。

 さて、3本目を仕入れるべきか…。ルビコン川を前にしたカエサルよろしく決断を迫られたが、結局、過ぎたるはなお及ばず、という名言に従い、程よい心地のところで切り上げ、海を少し眺め、歯を磨いて横になった。

9月11日(月)

 8:30目覚める。よく眠れた。レストランで朝食。少し波があり、やや揺れる。曇っているが、青空も見える。洋上の雲は、地形の影響を受けないせいか、それとも遠くまで見通せるせいか、陸上とは表情がかなり違って見える。素直で、本来の個性を見せているように思える。

 午後、波はなおやや高く、風も強まり、デッキへ出るドアは閉鎖された。晴れ間は朝より広がり、雲は幾重もの帯状の濃密な高積雲から、積雲へと変化してきた。揺れは続いている。部屋の反対側の窓を眺めていると、船の揺れに合わせて、風景が海ばかりになったり空ばかりになったりする。船酔いするほどではない。

 夕方、雲が美しく染まった。海に沈む雄大な日没が見られたが、その頃には天気が良くなりすぎて、日没後の空を華麗に彩るべき雲がすべて消えてしまっていたのはやや残念だった。

 夕食後、20:00に就寝。

9月12日(火)

 3:00、間もなくの入港を告げるアナウンスで目覚める。定刻の 4:00、小樽港着。


 下船し、フェリーターミナルビルのカフェーで朝食を摂る。6月にも同じカフェーで同じ時刻に朝食を摂ったのだが、その時は、小樽湾の向こうから昇り来るすばらしい朝日を眺めながらだった。今、大きなガラスの向こうには完全な闇夜が広がっている。そして冷たい雨が街頭に照らされたアスファルトを打っているのが見える。

 食事を終え、しばらくぼんやりと外を眺めているうちに、空にほのかな明るみが差し始めた。そして、ビルを出る時には雨はあがり、残月が雲間から顔を出した。さすがはお天気坊や。肌寒い!

 南小樽駅まで歩き、5:45発の始発に乗車。札幌で特急オホーツク1号に乗り換える。最初席がなく、ザックに腰をかけていたが、旭川から座れる。上川で下車。すぐに層雲峡までの直行バスが出る。

 バスに乗っている間、かなりの雨。だが、層雲峡で下車した時(10:00)にはあたりに雨の痕跡は見られなかった。そのかわり、すごい風が吹いている。時々川の水が巻き上げられ、しぶきとなって叩きつけてくるので、橋を渡るのに慎重にタイミングを選ばなければならない。

 心配したとおり、ロープウエーは強風のため運休中だった。30分ばかり待ってみたが、風の収まる気配はないので、歩いて登ることにした。ロープウエー、リフトの料金を2時間ちょいのアルバイトで稼ぐと思えばよい。とはいえ、黒岳まで1200m以上の高度差があることを考えれば、金で解決した方がずっとよかったのだが…。

 ロープウエー駅から林道を少し歩き、登山道へと突入する。いきなり急登となる。歩いていると結構汗ばむ。ゆっくりと高度を上げてゆく。相変わらず風が激しく吠えているが、道は樹林帯の中なのでさほど影響はない。途中から時折雨がおっこちてきだして、雨具が必要となる。

 リフト上駅でキタキツネが出迎えてくれた。駅はシャッターが下りたままで、人間の姿はない。ここの軒下で昼食とした。じっとしていると寒い。駅前にぶらさがっている温度計を見ると7度だった。

 再び歩き始める。リフト駅を過ぎると、森林限界を超え潅木帯となる。鮮やかに紅葉している。天気が良ければうっとりするような眺めだろう。

 雪が現われ始めた。新雪だ。大雪では9月8日に初雪が降ったということだ。


 黒岳の頂上に出たとたんに強風をまともに食らうこととなった。それも並大抵の風ではない。とうていまともに歩くことなどできない。黒岳から黒岳石室まで道沿いにロープが張ってあったが、このロープのおかげで何度か吹っ飛ばされることを免れたのだった。

 黒岳石室(山小屋)に着いたのは14:00前だったが、先に進める状況ではなかった。また、テントを張れるような状況でもなかった。で、まっすぐ小屋に飛びこんだ。素泊り1300円はお値打価格というところ。到着した時、小屋の外にかかっていた温度計は2度を指していた。

 小屋はもちろん板張りのざこ寝で、十数人の同宿者がいた。聞けば、ほとんどの人が2日間ここで停滞していたという。今日はずっとこの風で、昨日は猛吹雪だったという。風はなおしばらく吹きまくり、小屋を揺るがせた。朝まで船で揺られ、列車とバスに揺られ、その上、山小屋でまで揺られるとは思ってもみなかった。

 夜になり、風は弱まってきた。寝る前に外に出てみると、すばらしい星空となっていた。天の川の白々とした流れを見ていると、日本の発想よりも、これをミルキーウェイと名づけたギリシャ人のセンスの方に軍配を上げる気になった。

 空から大地に目を戻すと、キタキツネが佇んでこちらを見ていた。ヘッドライトで照らすと、目がエメラルドのような、星々に劣らない、すばらしい輝きを放った。

 ああ、女性方よ! 高価な宝石を無理して購わなくとも、世界は麗しき輝きに満ちている。星やキツネの目だけではなく、草木の葉のきらめき、朝露や川波に戯れる陽光、ホタルや海の燐光等々、自然は数多の心ときめかす輝きで我々を魅了してくれる。…だが、あなたが、独占的所有が伴わなければ気がすまないという狭量な精神の持ち主であるならば、ケチな鉱石の貧相な輝きで満足なさっているがよろしい。

 小屋は結構隙間風がひどく、よく冷えた。就寝前に室内でちょうど0度だった。だが、よく眠れた。

9月13日(水)

 3:30起床。期待どおり穏やかな快晴。早立ちをするつもりだったが、同宿の人たちがすぐそこの桂月岳まで日の出を見に行くというので、ちょっと行ってみる気になった。荷物の整理をしてから、美しい朝焼の中を数分登ると桂月岳頂上だ。きれいな日の出が見られた。
 
 そして朝の光が、夢のような光景を眼前に浮かび上がらせた。青く澄んだ空、純白の新雪をまとった峰々、緑と紅葉。今回はこの取り合わせを最も期待していたのだ。

 6:30、小屋を後にする。北鎮岳のピークを踏み、間宮岳へ。ここは風が強い。ザックをデポし、旭岳まで往復。2290m、北海道の最高峰。

 頂上にいた間、あいにくガスに巻かれ、展望はイマイチだった。 間宮岳から北海岳まで、左手にはお鉢平の紅葉と新雪のすばらしいコントラスト、右手にはトムラウシ山を中心とする山並を眺めながら歩く。

 途中、またザックをデポし、白雲岳まで往復。頂上からは知床の山々が遠望できた。北海岳から白雲岳までの間、雪がやや深く、膝くらいまで入りこむ所もあった。白雲岳避難小屋を過ぎ、少し下ると、もう新雪は見られなくなった。

 ここからトムラウシ山に至る間、ルートは山岳地帯とは思われないほどなだらかになる。湿地帯や池、雪渓が点在するゆるやかな高原状のうねりが、鮮やかな紅葉に彩られつつ、はるかに続いている。うっとりと、夢心地で、人生を時間の中に定着しつつ歩を進めた。

 忠別岳頂上で、黒岳石室で同宿だったS氏に追いついた。S氏も今日はぼくと同じ所で泊まる予定だというので「後でまた…」と先に進み、五色岳、化雲岳のピークを経て、ヒサゴ沼避難小屋に16:30到着した。2階造りのしっかりした建物で、20~30名くらい宿泊可能。やがてS氏も到着。この日はここに8名ほどが泊まった。

 夜、雲が出てきて、一時雨もパラついた。やけに暖かい夜だった。

9月14日(木)

 4:00起床。曇。稜線はガスに覆われている。せっかくのトムラウシ山をガスに巻かれたまま通過するのはおもしろくないので、空を睨みつつ出発をグズった。しばらく待つうちに、ガスがしだいに上がって行く気配となったので、この日トムラウシ山まで往復してここに連泊するというS氏といっしょに出発することにした。

 6:50出発。おしゃべりしながら、のんびりと歩く。ガスはしだいに上がり、トムラウシ山頂上に着いた時には結構見晴らしがきく状況となり、しばらくガスの切れめからの眺望を楽しんだ。

 トムラウシから少し下り、ヒサゴ沼への巻道の分岐でS氏と別れ、再びひとり旅となって十勝岳方面へ踏み出した。

 しばらくはなだらかな道で、ユウトムラウシ川源頭のカール状地形の上部を巻いて行く。時折陽も差し、このカールの紅葉が格別見事に映えた。

 このあたりまではうっとりと歩けたが、ツリガネ山への登りにかかるころから再びガスが巻き始め、時々雨がパラつく天気となった。この日は以後ずっと濃いガスの中で、暗く、視界のない、陰鬱なムードの中での行動となり、疲労感が大きかった。景気づけとクマよけに「森のクマさん」などを歌いながら歩く。

 途中、大型の猛禽(鷲だと思われる)が1羽、風を利用して、広げた翼を微動だにさせずに上空の一点にピタリと静止して地上を窺っているのを見た。

 オプタテシケ山への登りは結構手ごわく、バテ気味となる。疲労感と暗いムードを救ってくれたのは、このあたりで特によく見かけたナキウサギ(見かけはウサギというよりリスに近いと思う)たちだった。「チュルルル」とひょうきんな声で鳴きかわしつつ、身軽に跳び歩き、愛敬のあるとぼけた顔で岩の上からこちらを窺ったりする。

 一見ひ弱そうに見える彼らだが、その生活環境を考えてみるなら、その屈強な生命力に敬服の念を抱かずにはいられない。ぼくが体ひとつでここに放り出されたなら、今の比較的恵まれた時期でさえ2日と生き延びることはかなうまい。だが彼らは、1年のうち8カ月以上も雪に閉ざされるこの地で、軽やかに屈託なく跳びはねながら生活しているのだ。下界に戻ったら、まずは彼らと、その他この地に住まうすべての生ある者たちの健康を祝し、また今後ますますの発展を祈って乾杯をすべきだろう。

 美瑛富士避難小屋に17:12到着。地図にはこの小屋は「荒廃」と記されていたが、それどころか完全に崩壊してしまっていて、ナキウサギくらいしか宿泊できない状態だった。で、テントを今回初めて張ることとなった。

 若い女性2人のパーティーが先にテントを張っていて「寂しいから、よろしかったらすぐ横に張りませんか」といってくれたが、彼女らのテントは、もし雨が降ったら池になってしまうような低い窪地にあったので、そのことを指摘し、「ぼくはもうちょい水はけの良さそうなところで張りますが面倒でなければそちらが移動しませんか?」と言った。2人は移動しようかと相談していたが、結局「おっくうなので、いよいよ水没しそうになったら移動します」という結論になった。

 ここは水場が遠く、往復20分ほどもかかった。しかも、それは蛾の浮いている小さな水たまりで、その蛾を救助してからでないと水が汲めないのだった。黒岳石室やヒサゴ沼でも大差はなかったが…。

 早めに就寝。

9月15日(金)

 4:15起床。テント内でマイナス3度。テントのまわりの地面は5センチほどもある霜柱でぎっしりと覆われていた。すばらしい快晴。テント場からも壮大な雲海が眺められた。

 6:33、出発。美瑛富士を右手に見ながら回りこみ、岩ゴロの斜面を登りきると美瑛岳だ。頂上から、昨日歩いたルートと十勝岳が見渡せる。十勝岳は火山礫に覆われ、植生のないのっぺりした山容で、何となくタコの干物を連想させる。

 美瑛岳から少し行くと、道は砂礫帯へと突入し、歩き辛くなる。十勝岳頂上では十数人が休憩中で、ほとんどの人が「どこから来たの」と尋ねてくる。デイパック程度を担いだ日帰り登山者がほとんどのこの山域で、でっかいザックを担いでいるのが異様に見えるのだろうか。層雲峡からだと聞くと、みな驚きの色を示す。ある女性は「ご褒美に…」と、チョコレートパンを半分くれた。

 十勝岳頂上からは富良野岳までの展望が開けたが、富良野岳の容姿にはひと目見て心魅かれるものがあった。いい山だと思う。日本百名山のひとつである十勝岳より、ぼくにとってはずっと名山である。

 十勝岳からはかなりの登山者で賑っている。前日の、秘境のひとり旅という雰囲気とは趣がガラリと変わって、観光地のムードに近いものがある。そして、すれ違う人の半分以上が「どこから来たの?」攻撃を仕掛けてくる。ぼくの答えを聞いて、大げさに驚きの声を上げるおばさんあり、拍手してくれる女の子あり、わざわざぼくの後ろに回ってザックの重さを手で量った上で両手を合わせてくれる老登山者ありで、照れてしまう。北海道の人はあまり縦走などしないのだろうか? 

 上ホロカメットク山、三峰山を経て、十勝岳温泉と富良野岳への分岐に至る。ここにザックをデポし、頂上まで往復。縦走の最後にいい山のピークに立ててよかった。

 あとはのんびり下るだけだ。この日は好天に恵まれ、稜線でも存分に紅葉を楽しみながら歩けたが、高度を下げ、樹林帯に突入しても、なお見事な紅葉を楽しめた。

 14:55、十勝岳温泉に到着し、無事山行を完了した。

 さて、山行はここまでだが、旅はまだ終わっていない。明日の夜の船を予約してあるので、今日はどこかに泊まらなければならない。少々ぜいたくしてもいいなと思い、少し下った所にある国民宿舎カミホロ荘に向かう。ここで宿泊できるか尋ねてみたところ、満員です、といわれた。で、とりあえず入浴だけすることにした。露天風呂もあり、心地よかった。

 風呂上がりに缶ビール1本をたしなみながら、作戦を考える。まずは新日本海フェリーに電話をして、予約を今日に振り替えることができるかどうか尋ねてみることにした。結果は「本日は満席でございます」とのことだった。やはりどこかで泊まらざるをえないようだ。地図を見ると徒歩1時間行程ほどのところにヒュッテ白銀荘というのが載ってい る。山小屋らしいので、ここなら泊まれそうだと思って歩き出した。

 少し歩いたところで、道路のすぐ横に砂防堰堤を見つけた。ひょっとして、と思って上に登ってみると、期待どおりにテントを張るのにもってこいの平地があった。しかも、すぐ横の岩壁の下部から滔々と水が湧き出している。水の確保が一番の問題だったので、これで決まりだ。さっそく少し整地をしてテントをおっ立てた。そしてポリタンを持って水くみに出かけた。勢いよくほとばしる水に手をつけてみると心地よい冷たさ…と思いきや、生温かい。あれ、と思って口に含んでみると、酸っぱい! これは立派な温泉(さっきカミホロ荘で汗を流したのと同じ酸性ミョウバン泉)だ。入浴にはいいが、飲料水には不適だ。

 川の水は白く濁っていて、これも飲料不適。あたりを少し捜してみたが、水源は見当たらない。仕方がないので、せっかく張ったテントをまたたたみ、パッキングをして再び歩き出すハメとなった。とんだロスタイム。あたりはもう夕闇が濃くなってきている。

 少し歩き、白銀荘への横道に入ってからヒッチハイクを試みた。2台目で早くも停まってくれた。ありがたい。若い夫婦で、白金温泉まで行くという。で、ぼくもそこまで乗せてもらうことにした。町営の宿泊施設や国設キャンプ場がある。

 白金温泉で降ろしてもらった時は、もうまっ暗になっていた。まず町営宿泊施設を訪ねてみたが、ここも満員。で、キャンプ場へ。19:00着。さすがにここは満員ということはない。

 適当なテントサイトを捜している時に、洗い物をしている女の子に「寒いですね」と声をかけられたが、下界はやっぱりあったかいなあ、と思っていた矢先なので「え、ああ、まあ、そうですねえ…」と、ヘドモドした応答になってしまった。

 テントを張り、買い出しに出かける。店は1キロほど先にしかないが、この際もうひと頑張りだ。食料はまだ結構残っているが、ここまで来れば祝杯用のビールなしですます手はない。

 20:00過ぎに、やっと落ち着いてビールを開ける。疲れのせいかあまりうまくない。500ml缶を2本仕入れたのだが、2本目は半分以上捨ててしまった。あったかい紅茶の方がおいしい。

 星が山上でのようにすばらしかった。21:30頃就寝。

9月16日(土)

 7:00起床。のんびり朝食。そしてテントをたたみ、10:10発のバスに乗る。美瑛経由旭川行き。バスの中で少し迷ったが、旭川まで乗ることにした。

 バスの中で「早くて安い高速バス」という宣伝のアナウンスを聞いたので、旭川駅で調べてみたところ、確かにそのとおりだったので、バスで小樽まで行くことにした。高速バスは20~30分おきに発車するので、まず駅前の食堂で昼食を摂った。そして13:00発のバスに乗車。

 15:00札幌着。ここで小樽行きに乗り換え。

 16:00頃、フェリーターミナル近くで下車。ターミナルビルの小樽温泉に入浴。さっぱりし、喉も渇いたところで、ぶらぶらと歩いて、6月にも行った寿司屋へ。食べ放題コース、プラス生ビール3杯。寿司は38コでギブアップ。途中のコンビニで船中用の食料を少し買ってターミナルに戻ると程よい時間で、間もなく乗船開始。

 台風12号が接近中で、看板やアナウンスでしきりに乗客の不安をあおっている。「海上は大シケが予想されます。到着が大幅に遅れたり、寄港を見合わせたりする場合もありますので、ご了承の上ご乗船下さい。お急ぎの方は他の交通機関への変更をご検討願います。」急ぐ旅ではないし、泳ぎも得意なので、変更の必要なし。それに、憧れの新鋭船「らべんだあ」にやっと乗れるチャンスなのだ。

 満席であるにもかかわらず、割とゆったりしている。2等でも、定員8名の場所に5~6名で落ち着いている。良心的な運営だ。うまい具合に禁煙席の窓際をキープ。23:00出航。船の風呂はこの日はパスし、0:30ごろ就寝。

9月17日(日)

 船中でのんびり。曇りで一時雨。台風の影響で結構波が高く風もあるが、最新スタビライザーのおかげか、あまり揺れない。

 予定通り新潟に寄港。護岸に波が砕け飛んでいる。少し乗客が減る。

9月18日(月)

 定刻の7:30、敦賀に着岸。歩いて敦賀駅へ。特急雷鳥に乗車。無事帰宅した。

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